伝統ミサと新しいミサ
第2バチカン公会議によってもたらされた人間を中心とする新しい精神によって、カトリック教会はどれだけ実り多い結果があったでしょうか?その実り多い結果を、写真等で見ていくことにしましょう。
カトリック教会と伝統ミサ
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新しい教会とミサ
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第2バチカン公会議から流れ出る精神は、カトリック教会の破壊と空洞化です。
+主よ、憐れみたまえ!+
カトリック教会と伝統ミサ
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新しい教会とミサ
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| 御聖体を口で受けるピオ神父 |
カトリック一信徒の日記
前回の記事からずいぶん時間が経ってしまいました。
今回は、一信徒の感じるところを述べさせてください。
明日の夜12日から13日にかけて「聖母マリアの日」を祝います。深夜のロザリオのお祈り後、早朝にフランシスコ教皇が荘厳ミサを行い、全世界を聖母マリアに奉献するそうです。
聖伝支持派の信徒なら、少なからずこのことに疑問を感じていたことでしょう。
なぜなら、聖母の要求は全世界の奉献ではなく、ロシアの奉献だからです。また、前回の記事「聖母マリアの日」の中でもお知らせしましたが、選ばれた巡礼地の中に、「ファティマ」が含まれていないのです。正直なところ、管理人は相当違和感を感じていました。
ファティマクルセーダーのある記事の中で(前に読んだ記事ですがどの記事なのか探し出せずソースを引っ張れませんでした)、教皇に選出されて間もなくのことだったと記憶していますが、すみません、ここははっきり覚えていません。教皇フランシスコ(又はベルゴリオ枢機卿)は、ファティマクルセーダーの神父から重要な手紙を受け取っていました。それは、ロシアの奉献の重要性について語られていたものだったと記憶しています。記憶が正しければ、教皇フランシスコ、もしくはベルゴリオ枢機卿は返事の手紙の中で、聖母マリアの重要性は良く理解しているという好意的な返答をしました。しかし、その中にはロシアの奉献についての言及は避けられていたかと思います。
つまり、フランシスコ教皇はロシアの奉献の重要性について、少なからず理解しているということです。
前回、シリアの紛争拡大を懸念して、フランシスコ教皇がG20でプーチン大統領に手紙を送ったのを思い出します。管理人は、この手紙の中にロシアの奉献をほのめかす記述があったのではないかと淡い期待を込めて憶測しています。そして、教皇はシリアの紛争拡大を防ぐために、信徒にお祈りと断食を要求しました。
今となっては、シリアの内紛は、地域紛争へと拡大しなかったために、私たちは何事もなかったかのように過ごし、アメリカのシリアへの介入は大きな戦争へと発展する可能性があるものだったということを忘れているかもしれません。
けれども、このシリア危機が教皇様をも動かしたという事実を忘れてはいけないと思います。また、10月12日、13日のお祈りの行事も伏線があるということを認識しないといけないと思います。なぜなら、本当の危機は去っていないからです。
それは、ロシアの奉献を先延ばしする今回のローマ教区主催の行事から見ても明らかです。
残念ながら、教皇フランシスコは、元教皇ベネディクト16世のように信仰よりも政治的に活動せざるを得ない状況にあると言えます。たとえば、奇跡の認定のないヨハネ23世の列聖や、無原罪のフランシスコ修道会(he Franciscan Friars of the Immaculate)への特別形式のミサの否定など、公会議体制を着々と固めていくと言った印象を個人的に感じているところです。
また、フランシスコ教皇のカトリックの教えに反するかのような発言が取りざたされていますが、それは回勅による宣言でもなんでもなく、どちらかと言えば、第2バチカン公会議の流れにくみするものであって、大きく取り上げることではないだろうと思います。どういうことかというと、教皇の発言は、第2バチカン公会議の信教の自由の思想そのものであり、「カトリックの神などいない」と言う発言は、その公会議精神の反映にすぎないということです。
よって、聖伝・伝統のひかりのもとで第2バチカン公会議を解釈するというベネディクト16世の思想「継続の解釈」というものは、単なる言葉遊びにすぎないということがよくわかります。
第2バチカン公会議のもたらした「diabolical disorientation」は、まさに深刻なペースで、教会の破壊と全世界の荒廃をもたらしていくだろうことは明らかです。
「悪魔の働きが、教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。わたしを敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協するものでいっぱいになり、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。」(秋田の聖母、第3の御告げの一部)
+キリエ・エレイソン+
ラテン語学習のすすめ
以前、ラテン語を、さわりの部分だけ学習したことがあります。発音の仕方から、文法の簡単な部分を覚えましたが、英語と違ってかなり難しいという印象を持った記憶が今でも残っています。
特にラテン語の学習を難しくしている要因は、形容詞などが、受け手の名詞の性質によって変化していったり、また名詞も名詞で格によって変化させていく必要があるということです。この難解な文法を駆使する必要のあるラテン語が、必然的に死語になっていくことは至極当然のことであって、そう考えるのは妥当でしょう。
具体的な例として、「Deus」は主語としての「神」となりますが、もし、目的語として「神(を)」と言いたい場合、「Deum」と、語尾に変化が生じます。また、前置詞の中に来たり、副詞的に用いる「神に(神の)」など場合、「Deo」と変化します。このように、必要に応じて、語尾を変化させなくてはならないのですが、実は、この「神」を形容する形容詞も同じように語尾が変化していきます。「偉大な神」の「偉大な」という形容詞も、名詞の変化に合わせて変化させていきます。気を付けないと、形容詞なのか名詞なのか、品詞はなんなのか混乱してしまうでしょう。Alas!
このため、管理人は挫折とともにラテン語の勉強をあきらめました。死語ということもありますし、実用的な言語ではないので、美しいグレゴリオ聖歌の意味がわかっただけでも満足し、複雑な文法の学習は遠のいでいきました。
複雑難解な死語であるラテン語ですが、教会の伝統・典礼・聖伝・信仰をそのままの形で保存するという意味では、実は死語であるラテン語こそ大きなメリットを享受しているのだと言えます。ラテン典礼を各国語に翻訳せずに、ラテン語のまま20世紀も続いてきた御ミサを挙行することこそ伝統をしっかり保全し、天主へのふさわしい礼拝としてふさわしいものでしょう。
各国語に翻訳することは、能動的に一般信徒のミサへの参加を促す目的があったようですが、残念ながらその目的のために、典礼文やミサ中の挙動に多くの改悪がありました。
たとえば、跪く行為は、多様性の名のもとに跪き台とともに取り去られました。ミサの各国語化によって、必然的にグレゴリオ聖歌も標的とされ、各国語の典礼聖歌が優先され始めました。
記憶が正しければ、典礼聖歌(いわゆる典礼聖歌集)の作曲家の中には、典礼聖歌はグレゴリオ聖歌に勝ることはないという趣旨の発言をされていました。なぜならば、グレゴリオ聖歌は、ラテン語の言葉(お祈り)の上に旋律(メロディ)を付けたのであり、元来グレゴリオ聖歌とはお祈りそのものであるからです。
また、典礼文の改悪はひどいものがありました。ラテン語の忠実な翻訳ではなく、できるだけ短く、そしてできるだけエキュメニカルに沿った翻訳を心掛けているということでした。典礼の刷新については、第2バチカン公会議の進歩派と保守派の戦いに関する聖ピオ10世会司祭小野田神父のブログやホームページの記事のどこかにありますので、そちらをご覧になればよいかと思います。
話がそれましたが、ラテン語を学習したいという方は、次のページがかなり参考になるかなと思います。「Kyrie」「Credo」「Sanctus」のラテン語を文法的に細かく説明しているので、普段、ラテン語でキリエやクレド、サンクトゥスを唱えている方は、文法的に理解することで、応用的にグレゴリオ聖歌などの文法を理解できるようになり、その意味も理解できるようになるかもしれません。
ざっと見た限り、学習におすすめです。ローマ字の読み方から、それこそ名詞や形容詞の語尾変化などが学べます。
http://pierres-blanches.tea-nifty.com/blog/files/missa-ordinarium-ver3.pdf
管理人は苦労したあの時を懐かしみながら、ざっとページを読ませていただきました。すばらしいできです。このラテン語解説書をpdfでアップさせた方に感謝したいですね。
pdfを開くことができない場合、次のブログのページで読めます。
http://blog.livedoor.jp/missa_ordinarium/
カトリック教会と背教
カトリック教会は危機にあるということはもはやだれも否定しえない事実でしょう。もし、否定されるカトリック信徒がいるのなら、めくらになったか、ものの見事に近代主義と自由主義に染まってしまったかのどちらかだと思われます。
現代世界はすばらしい、すべての人は良い人だ、ハリウッド映画のような世界が私たちの理想だ、と思っている方は、良識を失ったか、理性を失ったかとしか考えられません。
カトリック要理を再び思い出してみましょう。世界は堕落に満ちていて、原罪が私たちを支配ている、これが本当の現実です。私たちは聖職者による性的虐待を忘れてしまったのでしょうか?カトリックの教えはすでに聖職者の心の中から消えてしまっていないでしょうか?福音の伝道という使命を聖職者は忘れてしまっていないでしょうか?ファティマの聖母の御出現とその警告は過去のものなのでしょうか?
管理人はすでに幾人かの司祭の口から、信じられないことを耳にしています。つまり、聖体変化はもはや記念の行いであって、プロテスタントの考えるそれと同じであること。それとは、トリエント公会議で表明された全実体変化(トランスブスタンシエーション)ではなく、シンボルそのものであるということです。また、聖母マリアの童貞、処女を疑う聖職者もいます。少なくともカトリックの教えははっきりしています。聖変化は全実体変化であり、聖母は処女であるということです。この教えを、もはや信じない聖職者がいるという悲しい現実を私たちカトリック信徒は知るべきです。このような恐ろしい背教は、もはや多くの信徒が目の当たりにしているのではと予測しています。
これは重大な信仰の危機です。信仰のない聖職者から影響を受けて信徒となった場合、彼らは、えり好みしてカトリック教会の教えを受け入れるようになるかもしれません。つまり、この教えは自分に合わないから、実践せずに聞き流すということが起こり得ます。そうなった場合、もはやカトリック信徒とは言えません。すべての教えを受け入れてこそ本当のカトリック信徒というべきだからです。
第3のファティマの秘密で予告されている「(教会の)トップから始まる背教」について、すでに深刻であるということは身をもって実感しており、そのような聖職者のミサに預かることは自ら信仰の危機にさらすだけろうと思います。全実体変化を信じない司祭のミサに預かることにいったい何の意味があるのでしょうか?カトリックの要理を否定する司祭からどうしてそのままのかたちでカトリックの教えをいただけるでしょうか?御聖体を尊重しない(もしくは信じていない)司祭からどうして聖体拝領ができるでしょうか?No way!
第2バチカン公会議はカトリックの伝統の光に照らして解釈するという思想がいかに危険で、いかに詐欺であるかということを知るべきです。このような背教は、残念ながら第2バチカン公会議を境にして大きく動き出したからです。世界との和解を訴えたのは、まさに第2バチカン公会議を開催した教皇ヨハネ23世でした。異教の神々を奉じ、無信仰の者たちに牛耳られているこの世界におもねること、これを望んだのは、まぎれもなく教皇ヨハネ23世だったのです。
SSPXの分裂と教会の危機
さて、SSPXの分裂はどうやらカトリック教会の教皇庁から由来している可能性が大きいということがわかってきています。現段階では推測ですが。
ローマとの実務合意を果たせなかったSSPX幹部のうち、総長であるフェレー司教は「ローマに騙された」という表現を使って非難しました。昨年のSSPXのごたごたは、まさにその様相を呈していました。2つのルートからSSPXへのアプローチがあり、どちらもどちらとして受け取ったために、SSPX内で混乱が生じたように思われます。
具体的に何について「ローマに騙された」と言っているのかはわかりませんが、この強い非難がローマの裏切りであるということを物語っているのは想像に難くありません。非公式ルートからの信頼に足る情報をうのみにしたことが、逆にSSPXをローマへと引き入れる手引きとなり、うまく公会議教会へと吸収する罠だったのではないかと個人的に疑っています。
総長フェレー司教はかつてはローマが変わったという趣旨の発言をして、ローマとの実務合意を専決事項として突き進んできましたが、どうしてローマが変わったということが分かったのでしょうか?
25年前のヨハネパウロ2世のが提唱した世界平和の祈りの集会を記念して、2011年にアッシジの祈りの集いがあり、カンタベリー大主教や東方正教会、ユダヤ・ヒンドゥー・仏教の諸宗教が集ってお祈りをしたからでしょうか?
定年引退を認められたレヴァダ司教の代わりに、レーゲンスブルクのミュラー司教が教理省長官として大司教の位に上げられたからでしょうか?【(参照)ミュラー司教は、聖ピオ10世会を敵視しています。最近では、聖ピオ10世会の司教叙階25周年で発表された3人のSSPX司教による宣言が直接の原因で、ローマとSSPXとの関係を断つことを望んでいる。(参照)】
実のところ、信頼に足る非公式ルートを信頼しすぎたために騙されたのではないでしょうか?
仮にローマが変わったのなら、フェレー司教が言うようにこれからは戦う司祭ではなく、お祈りの司祭が求めらるのでしょうか?そのため、戦う司祭は、説教壇のみならず、ローマの非難をしてはいけなくなり、SSPX幹部のローマとの和解に反対する者は、ある者は見せしめに追い出され、ある者は従順の名のもとに僻地へ左遷されました。このSSPXの強硬路線は、ローマ幹部のそれとどことなく似ていると思われた方は多いかもしれません。
第2バチカン公会議をすべて受け入れろ、新ミサを受け入れろ、さもなくば教会法上の法的地位は保障されない。ともかく、第2バチカン公会議を非難をすることは論外であるかのように、言われ続けたのはSSPXの方ではなかったのではないでしょうか?それを忘れてしまったのでしょうか?
そして、ここ最近総長のフェレー司教が実務合意を撤回する発言があったそうです。カンファレンスでの発言なので、書面上としての撤回はまだありませんので、本当に撤回したのかどうかは確認が取れていませんが、もしそうなら、ローマとの和解に対して非難し、不従順によって除名されたSSPX会員を再び復帰させるべきではないでしょうか?なぜなら、この分裂のきっかけは、教義の一致なくして実質合意なしという方針をやめて、SSPX幹部は教義上の一致はないものの、実質的一致は可能と変更したことにあり、それを非難した司祭が左遷されて無理強いで従順を求められ、しぶしぶ退会せざるを得なくなった司祭がいるからです。ローマが騙したから仕方ないという理由は認められないでしょう。騙される前に、ウィリアムソン司教がはっきり言っていたように彼らローマ人はうそつきであるということを聞かなかったのでしょうか?もし、復帰がなければ、結局SSPXはメンツを重んじているのであり、いったん退いた会員に汚名を着せた過去の種々の声明によって退いた司祭たちを永遠に傷つけるだけでしょう。
聖ピオ十世会は公会議と新ミサの誤謬の断罪をやめるつもりはないと主張していましたが、それは残念ながら一時期は嘘であったことがわかります。これからは戦う司祭はいらない、スピリチュアルな司祭が必要だとSSPX内のある司祭が言ったようです。(ウィリアムソン司教のカンファレンスでの発言)また、シャザール神父の手紙の中には、ティシエ司教がフェレー司教の第2バチカン公会議寄りの発言を知っていると述べたところからも推測できます。一時期は、有効性を疑ってきた新ミサを合法的に発布されたlegitimately promulgatedものとし認め、第2バチカン公会議をほぼ(95%)受け入れる状況までフェレー司教は主張を押し進めてきました。
ローマが沈黙している(沈黙の背教という)カトリック教会内の腐敗を批判することは、ローマ幹部にとっては最悪でしょう。しかもその元凶が第2バチカン公会議であると主張されることは、ローマは我慢ならないのです。実際、教義省長官ミュラー大司教は、25周年司教叙階の宣言に強烈に不満を示しました、SSPXとの関係を断つことを望んでいるということが、ドイツの週刊誌FOCUSによって報告されています。
また、第2バチカン公会議を否定することに対して我慢ならないローマとの合意に向けて、密約としてSSPXは事実上第2バチカン公会議の否定はしないということがあったのではないかというのが、管理人の憶測です。さもなくば、ローマとの妥協的な合意はあり得ないからです。総長フェレー司教がローマに傾きかけ、ウィリアムソン司教やその他のSSPX司祭を追い出したもしくは追いやった事実を見れば十分です。また、第一義である教義上の合意をなくすのですから、SSPX幹部は極めて危険なかけをしたということがわかります。天主の教え(Teaching)を妥協の材料にしたのですから。時には妥協が必要という言葉は、自殺行為に匹敵することをここで申し上げておきましょう。天主の教えを妥協の材料にするのはいかなることがあっても認められませんので。
前回の記事では特に聖ピオ10世会関係者から、なんら訂正の発言がありませんでした。個人的に驚いているのは、1週間近く、カトリック部門で一番読まれ続けていた記事だったということです。聖伝に興味を示す多くのブログ村の読者がいるということです。また、ブログ村はおそらく1週間丁度すぎると、順位表示から強制的に外されるようです。1週間の間なら、ブログ村を経由した聖伝支持者は当ブログの記事を目の当たりにしたことですし、反論の機会もあったでしょう。
そういう意味で前回の記事は多くの関係者に目についたはずですが、批判がひとつもありませんでしたので、聖ピオ10世会支持者が今回のSSPX分裂の危機がSSPX幹部に端を発しているということを暗に認めざるを得なかった、と管理人は解釈しました。(補足:もちろん、ローマの非公式ルートの情報や公式ルート?の情報を信頼したという意味では、その元凶はローマ側にあることは否定しえませんが。)
このことからわかる通り、残念ながら現SSPX幹部のローマとの和解は、信徒からも疑問に持たれていたということがわかります。ウィリアムソン司教の最近のエレイソンコメンツの記事にも証明されている通り、スイスのエコンヌで開(ひら)いた小規模(しょうきぼ)の25周年式典にはわずか200人から300人しか参列しなかったようですし、同所で行われた今年の年次の司祭叙品式=叙階式では会場の椅子(いす)のほぼ半数が空席(くうせき)のままだったということからもはっきりとわかります。SSPXの分裂は信徒間にも亀裂をもたらしたということです。
願わくは、ルフェーヴル大司教がそうしたように、SSPX幹部が再び大声で第2バチカン公会議の近代主義・自由主義を批判し続け、除名された・もしくは退会せざるを得なかった司祭を復帰させ、同じ信仰でひとつとなり、現代の誤謬と闘い続けたまわんことを!
+キリエ・エレイソン
追記
ココログは7月から仕様がかわり、、上部と下部にさらに広告が付加されるようになりました。読者の方には迷惑かと思われますが、なにとぞご理解お願いします。有料版に切り替えると広告が消えるそうですが、不定期で記事を書いていますので、有料版に切り替えるメリットはありません。このままの状態で続けさせていただきます。
また、曲解や間違った情報をもとに記事を書くことがあります。その場合は、記事を随時訂正することがありますのでご理解お願いします。
また、思いつくように記事を書くことがありますので、ところどころ文になっていないところがあります。読み返して恥ずかしい思いです。その場合は、行間をお読みください。
聖ピオ10司祭兄弟会と4名の司教叙階
ブログ村には聖ピオ10世会を支持する信者さんが多くいるようですので、少し意識した形で、このブログ記事を書いています。最近(昨年)興味を持って記事を読むようになったのですが、聖ピオ10世会問題はデリケートであると感じています。
聖ピオ10世会( Society of Saint Pius X )創立者ルフェーヴル大司教は、ローマとの会合の合意でラッツインガー枢機卿から一人の司教叙階の承認を得ていましたが、合意を破棄して1988年6月に4人の司教叙階を行いました。
その合意文書はフランス原文ですがこちらの英文翻訳されたサイトで確認できます。どうしてこの文書を破棄したのか、正確なことはわかりませんでした。
パウロ6世・ヨハネパウロ2世が公布したミサ典書(新ミサ)や秘跡の典礼がやはり受け入れられなかったのでしょうか?
第2バチカン公会議の教会憲章「Lumen Gentium」を受け入れる宣言をするのは問題ありだと判断したのでしょうか?(ルフェーヴル大司教が合意文書にサインをしたところから考えて、第2バチカン公会議のすべてを否定していたわけではないようです。)
ローマ委員会の構成に問題があると判断したのでしょうか?
一人の司教の叙階では足りないと判断したのでしょうか?
5月になされたルフェーヴル大司教とラッツィンガー枢機卿との合意は破棄され、自動破門へとつながる6月の司教叙階へとつながっていきます。
そして、その4人の司教叙階の日のあいさつ(説教?)の中で、ルフェーヴル大司教自身、管理人の疑問に答えてくれていました。
つまり、議定書にサインをしたと同時に、一通のメモを渡されたルフェーヴル大司教は、そのメモの中で、自らの誤謬を認め、真理に立ち戻るように要求されたのです。
むしろ、公会議教会こそ真理に立ち戻れと主張していたルフェーヴル大司教が、逆の立場で同じことを言われるとは思いもしなかったことでしょう。キリストの王権を否定し、三位一体を否定するようなアシジの集会、典礼文を著しく改悪し、祭壇をテーブルに変え、ファティマの聖母の要求を反故にするような第2バチカン公会議の精神にどっぷりつかったローマ幹部たちから、このような要求を突き付けられたルフェーブル大司教は、合意に至るまでの良い雰囲気とは全く逆であったことに気がついたのでしょう。
以後、ルフェーヴル大司教は、この合意が間違いであったことを認め、ローマが聖伝に立ち戻るまで、自ら聖伝を守るための義務を遂行するのみであること、合意にサインをして、聖ピオ10世会がローマの手に渡していたら間違いなく、生き残ることは不可能であったことを認めたのです。その合意取引をルフェーヴル大司教自身「自殺行為(Operation Suicide)」と表現してみせたのです。
この公会議教会がローマに立ち戻るまで、ルフェーヴル大司教の使命は聖伝を存続させるための司教として、最低4人の司祭を司教に叙階する必要がありました。そうでなければ、カトリック教会を世界で存続させることは不可能だと考えたのです。司祭は司教なくしてありえないわけです。第2バチカン公会議以前まで遂行され続けてきた典礼で叙階することは、カトリック司教の権限でしょう。もちろん、司教叙階はローマの許可が必要ですが、その権限をはく奪することは不可能です。
教皇庁は自動破門の脅しでもって、ルフェーヴル大司教の動きを封じ込めようと躍起になりましたが、ルフェーヴル大司教の意志は不動でした。パウロ6世によって聖職停止の処分を受けた時のように、自動破門の脅しも恐れずに、無視することに決め、司教叙階式を盛大に行ったのです。
3名の司教とウィリアムソン司教
決して、聖ピオ10世会支持者を刺激する目的でこの記事を書いているわけではありませんので、あしからず。
聖公会から改宗した経歴を持つウィリアムソン司教の有名なホロコースト発言で、支持者は肩身の狭い思いをしていたかもしれません。そのウィリアムソン司教が昨年の2012年10月に聖ピオ10世会兄弟会から除名されたのは、周知のとおりですが、ホロコースト発言と何か関係があったのだろうかと、当時はそう思っていました。
しかし、調べるとそうではなかった、ウィリアム司教の総長フェレー司教への公開書簡というのが日本語訳でありますが、この中で、除名の理由は、
とありました。ウィリアムソン司教はほぼ不従順の理由で除名されたわけですが、なぜ不従順だったのか、それは教義の一致なくして実質合意なしというSSPXの基本方針を変更し、SSPXの幹部が教義上の一致はないものの、実質的一致は可能。と変更したことに危惧を抱いた。SSPXを破滅に導く実質的合意を恐れたウィリアムソン司教は不従順の行動をとらざるを得なかった。
なぜ、不従順の行動をとらざるを得なかったのか?それは、この公開書簡の序盤の司教の回想の中で間接的に語られているように思われます。2000年の大聖年の年に、その力を誇示したSSPXがローマとの和解へ向けて動き出すわけですが、おそらく、この時からウィリアムソン司教は、ローマの甘い誘惑である懐柔策を見て取ったのでしょう、創立者を破門したり、教会を破壊する方向へ仕向けた近代主義ローマが脅していたころから態度を一変させ、それに呼応してSSPX幹部も対決姿勢から融和的な態度に変化させた、このことはウィリアムソン司教にとっては心地よくなかったでしょう。ローマの回心という前提なくしては実質的合意はあり得ないとした創立者ルフェーヴル大司教の態度から逸脱しかかっている現状を、すでに10年前から危惧し、何らかの行動をとっていたのかもしれません。
その後、ウィリアムソン司教は2003年に実りのあるアメリカでの使徒職からアルゼンチンに左遷され、2009年のホロコースト発言で、3年半もの間、ロンドンで司教としての職を果たせずに暮らしていました。それは、司教にとっては屈辱以外に他ならなかったでしょう。もはや必要とされてない存在のように幹部から扱われていたのです。「価値を否定され」という発言は、つまりそのことを言っているのでしょう。
彼にできる抵抗はもはや「エレイソンコメンツ」で執筆し、全世界に発信すること、聖伝を守り、信徒の霊魂を近代主義の影響を極力避けるように訴えること、それしかすることがなかったのでしょうが、その執筆も許されなかったわけです。
日本では、聖ピオ10世会のブログ「Credidimus Caritati」がありますが、掲載されている記事はすべて小野田神父の記事・ないしは聖ピオ10世会関連の翻訳記事がアップされているわけですが、通常通り、問題なくブログが継続されています。しかし、ウィリアムソン司教のエレイソンコメンツが許されないのは、おそらくSSPX幹部の方針を否定する発言があったからなのでしょう、実際、書簡の中盤あたりに、SSPX幹部の「和解策に対する反感を持つことを許されない」とあり、そのため、エレイソン・コメンツをやめるようにSSPX幹部は文書を何度も送っていたという趣旨の記述があります。つまり、方針転換したSSPX幹部の和解策を否定することはいかなる場合でも許されないということになっているわけです。
どれだけの司祭が聖ピオ10世会を去ったのか知りませんが、かなりの司祭がSSPXの幹部の方針に反感を抱いたようです。このような対立があったとき、大切なことは創立者の意志を継続することではないでしょうか?
創立者ルフェーヴル大司教は、ローマの回心なくして合意はあり得ないし、合意した場合は自殺行為であるとしたわけですから、少なくともローマが、カトリック教会が継続してきた典礼、秘跡、教義、聖伝、信仰に立ち返るまでは、合意を行わないほうが正しいはずです。
しかし、総長フェレー司教と幹部たちはローマを救いたい、ローマをもとに再びカトリック教会を復興させたい、そのため、ローマに戻り、教会内で確かなポジションを得て、復興にあたるための方針へと転換したのかもしれません。さもなくば、創立者の意志に反してまでそのような行動に出ることはある意味自殺行為です。
このことは、2002年1月のカンポスでの聖ピオ10世会の公式声明に弱弱しく、どのような実りがあるのかを推移を見守るという声明にあらわれているように、聖ピオ10世会から離れたカンポスの動向を直視しているSSPX幹部は、機が熟したと判断したのでしょうか、教義的な合意を差し置いて、実務的合意が可能と判断したのでしょうか。
つい最近の記事の中で、カンポスに関するアンジェルス誌の質問に対して、次のようにフェレー司教が発言しています。
「彼らは聖ピオ十世会の命脈に依存しています。これはもう明白です。現在、エクレジア・デイの使徒職の実りは教区司教たちの善意に完全に依存しています。教
区司教たちは聖伝のカトリック的生活を打ち立てるという、そういった方向への使徒職の可能性を限定することで、そのような強い真面目な望みを大幅に制限し
ています。エクレジア・デイの方々は第二バチカン公会議の新規なこと、世俗、そして新しいミサを[聖伝に]混ぜ込まなければなりません。これこそ、聖ピオ
十世会と "エクレジア・デイ" 傘下のグループとの大変大きな違いです。一部のグループは、徐々に私たちに近づいてきていると見ています。」
つまり、結局はエクレジア・デイ傘下に入った場合、徐々に聖伝の中に新奇な事柄を注入させられる可能性があるということを示唆しており、実務的な合意はあり得ないことが判断できます。機は熟していないのです。すべてはローマ次第なのです。
しかし、総長のフェレー司教とSSPX幹部が、ルフェーヴル大司教の方針を捨てて、この実務的合意を望む意図があるのはなぜでしょうか?当然、部外者である管理人はわかりません。
ローマの幹部との交渉のテーブルにつき、SSPX幹部も負けじと狡猾に打ち負かそうとしているのでしょうか?それはあり得ないでしょう。実務合意に至っても、教義的に合意できるのかそんなことは不可能でしょう。
ローマ教皇庁はフリーメイソン員によって占められています。これは、バチカン内部とつながりのあるクラーマー神父のインタビュー記事で確認できます。ローマが回心することは本当にあるのでしょうか?ラサレットの聖母の預言のなかで、ローマにおいて失墜があることが語られていますし、また、ファティマの第3の秘密でも背教について語られていることを考えると、この時代は黙示録の時代であり、ローマの回心は困難を極めているということです。
SSPX幹部に秘策があるのか、残念ながら「ローマに騙された」というSSPX総長フェレー司教の言葉に要約されているように、教義的合意がなされずにローマとの合意はあり得ないのではないでしょうか。SSPX幹部は教義的合意なしでも実務合意が可能とする考えをやめ、追い出してしまったSSPX司祭を再び迎え入れたほうが良いし、同じ信仰を擁する立場として一致したほうが、ローマとの異質な一致よりもはるかに健全であるような気がします。
上記は、個人的な意見であり、何か間違った情報をもとに判断しているのでしたら、喜んで訂正をいたします。
東閭ドンルーの聖母
毎年、5月になると中国共産党政府は河北省(Hebei)ドンルーの町に予備警察を派遣します。
北京から車を数時間走らせたところにあるこの村で盛大に行われていた巡礼に対する取り締まりを強化するためで、巡礼者や旅行者をこの村に近づけないように中国政府は制限をかけているのです。
およそ、1万人が住んでいるこの村の90%はカトリック信徒と言われており、聖母マリアを固く信じ、天主愛国協会と対峙する地下カトリック教会に忠誠を示しています。
ドンルーの出来事は1900年にさかのぼります。白く光り輝く美しい姿をした聖母が、空に出現し、義和団の乱の中、1万人の兵士からこの村を守りました。兵士は、カトリックを標的に虐殺をもくろんでいたのです。聖母の出現を恐れた兵士は、その幻影に発砲をしましたが無駄に終わり、恐れをなして逃亡してしまったのです。
聖母の出現は現地の司教に公認され、その場所に教会を建立しました。教区の司祭の委託で描かれた中国の聖母の絵画は、皇后(女帝)のローブを纏い、膝の上に幼きイエズスをのせ、その頭上に冠を頂いています。それは、「ドンルーの聖母(中国の聖母)」として知られるようになり、1928年教皇ピオ11世により祝福・公布され、1941年教皇ピオ12世により、カトリック典礼歴の祝日に組み込みました。
これにより、中国河北省のドンルーは有名な巡礼地へと発展していき、特に5月24日は、キリスト信者の助けなる聖マリアの祝日となり、多くの信徒が巡礼のために足を運ぶようになりました。
(禁止される前の巡礼地)
1995年には聖母の光栄のために地下カトリック教会の信徒5万人が巡礼しましたが、ミサの時、奇跡の現象が見られました。太陽は天井で右から左へと動き、さまざまな色の光が人々の上に照らしだしました。それが20分も続いたのです。それから、幼きイエズスを抱いた聖母が空に出現しました。
多くの目撃者は、聖母の出現や奇跡を通して、ドンルー町で起こった出来事の重要性を理解したのです。それは、地下カトリック教会の本拠地でもあるドンルーの聖母が、共産主義政府の愛国協会を拒否しローマに忠誠を誓う信徒の保護者であるということの印であったということです。
1996年には中国公共安全局(The Chinese Public Security Bureau)が5月に訪問する巡礼団を禁止しましたが、5月24日の祝日に10万人もの信徒が訪問を果たしたのです。
これに対して政府は速やかに5000人の軍を動員し、地下教会の聖職者を逮捕し、聖母の御像を奪いました。また、ドンルーに訪れたいかなるドライバーの免許も取り消したのです。「不法の集会と社会の安寧に与える悪影響」を理由に訪問が禁止されるようになります。
今日でも、巡礼は禁止されていて巡礼者の数は激減しましたが、24日の祝日は続けられ、
2013年も200人近くの信徒が行列に参加しました。
81歳の老人曰く、
「当局は恐れています。もちろん、小さな村に住む力のない村人など恐れていませんが、聖母の強力な仲介を恐れているのです。聖母の保護のもとに、中国の国民が共産主義政府に抵抗する力を得るからです。」
教皇フランシスコも5月22日に、中国の信徒のために世界の人々のお祈りを呼びかけていました。私たち信徒は、聖母月である5月に特に中国のキリスト信者に心を寄せて、聖母のとりなしを願い、ロザリオを通して迫害の中を生きる彼らのためにお祈りをし、生きる希望と喜びが与えられることを願ってやみません。
ドンルーで信じられている公式絵画
5月12日 見捨てられた者たちの聖母 Our Lady of the Abandoned Ones
スペインのバレンシアは、オトラ・リーガ王者の異名を持つチーム・バレンシアを擁する人口80万人の第3位の都市です。
5月12日は、1885年に教皇レオ13世によりバレンシア都市の守護者と宣言された「見捨てられた者たちの聖母」の祝日です。
「見捨てられた者たちの聖母」の御像は特筆べき頼もしい奇跡がありました。
時代は15世紀にさかのぼります。見捨てられた子供たちの世話をするための施設を、ある信心会がバレンシアに建設しましたが、足りないものと言えば、精神的な支柱となる御像でした。
とある日、とってもハンサムな3人の若者(少年)が、避難所を求めて扉をたたいてやってきました。避難所の提供のお礼として必要な御像を彫刻することを申し出たのです。彫刻に必要な材料を調達し、3日間快適に仕事が進められるようにそっとしてくださいと言うことを3人の若者が求めてきたので、施設の人は快諾しました。
3日間、扉に鍵をかけたまま作業が続けられ、3日がたった後、ブラザーたちが他に何か必要なものがあるかどうか尋ねにやってきました。ドアには鍵がかけられ、求めに応じるよう要求しても誰も何も反応しませんでした。ついには、ドアを強引にこじ開けて中に入ってみると、3人は跡形もなく消え失せ、ただ部屋の中央に御像だけが残っていたのです。
「見捨てられた者たちの聖母の御像」に起因して数々の奇跡もたくさんありました。
1700年にはスペイン人修道士がバレンシアに行きそのレプリカをフィリピンへと持ち運びました。300年にもわたり、マニラの聖アンナ(Santa Ana)教会に安置され、崇敬されています。また、マリキナ( Marikina)やMuntinlupa City、Mandaluyong Cityなどのフィリピンの都市で、守護者としてあがめられています。
Felix Sarda y Salvany神父(1899年 スペイン語の英文翻訳参照)
第2バチカン公会議前Sarda神父は自由主義の本質的性質とその危険性を指摘。これは現代教会内に吹き荒れる自由主義の危険性を如実に表している。先見の明のあるこれらの指摘をあなたはどうとらえるだろうか?今の教会の危機に照らし合わせてみると、うなずけるものがあり、積極的に教会内からこのリベラリズムを駆逐しなければならないのです。
Fr. Felix Sarda y Salvany, 1844-1916
信仰のよりどころであるカトリックが自由主義の誤謬に引き込まれていく様々な方法がある。
しばしば知性の堕落の結果として、道徳的腐敗が起こるが、しかし依然として前者は後者に伴って起こることが多い。異端の歴史を振り返るとこの事実は明らかである。それらの始まりは、有害な自愛心や報復的な不満(な態度)のどちらも(伴い)同じ性質を表してくる。それは、女性が創立者をして冷静さかつ魂を失わせるか、多くの大金が良心を放棄させることのように。
誤謬は、ほとんどと言って原因があるが、それは深遠で入念なものではなく、聖ヨハネが表現した3つの頭を持つ獣を、「肉の情欲(concupiscentia carnis)・目の欲(concupiscentia oculorum)・生活のおごり(superbia vitae)」と呼んでいるものなのだ。
ここに誤謬の原因があり、リベラリズム(自由主義)への道があるのだ。しばらく、これについて考察してみよう。
1.自立と安楽な生活への自然的欲求のためリベラリストになる
リベラリズムは必然的に人間の堕落した本性に共感するが、カトリックの普遍性はそれに反対である。リベラリズムは束縛からの解放であり、普遍性は情の抑制である。まさに本能的に堕落した人間は、知性のおごり並びに情(愛)の権利を正当化し神聖視する。
テルトゥリアヌスは言っている「高い志向をもつ魂は、本性的にキリスト教徒である」と。同様に、原因の腐敗(誤謬である原因)を持つ者は生まれながらにしてリベラリストと言えるかもしれない。そこから論理的に、自身をリベラルと正式に認めるのは、自由主義が移り気や放縦を擁護することに気づいた時なのだ。
2.生活の向上に対する欲求のためリベラリストになる
リベラリズムは思想を支配しているし、それはどこでも、とりわけ公的な(社会)生活の場で支配している。それゆえ、一般の人々の支持において確実な推薦を受けている。
生活の初期から、若者は富、名声、光栄へと導く多様な道を探して回り、志望する目標にたどり着く重要な条件は、少なくとも我々の時代においてはリベラリストになることだと理解する。最初から、リベラリストでないということが、克服できない障壁であるかのような状況に身を置くことになるのだ。砂漠において悪魔がイエズス・キリストを試みた時に「もしあなたがわたしを拝むならば、それはすべてあなたのものとなるだろう。Haec omnia tibi dabo si cadens adoraveris me」(聖ルカ4.1-13)と言ったが、若者らは勇敢にその悪魔に抵抗しなければならないのだ。
英雄はまれであり、キャリアをスタートさせた多くの若者はリベラリズムと連携しなければならない。それによって彼らは、強力な推進役、強力な保護者の推挙、秘密組織の有力な影響力、有名な人物の後援者としての立場を保証される。貧しい地方の住民は何度でも自身を売り込んで名声を博す利益を求めるし、往々にして若者に良心が欠けているものだ。
リベラリズムは、特に今日の時代求めてやまない公的な生活に支持されている。それは魅惑的な誘惑によって公的事務所や委員会、裕福な地位の人々などなど、公的機関の組織によって構成されている人々に広まっている。あたかも政治的な出世のための絶対条件であるかのようだ。不正な汚職を軽蔑し憎む意欲に満ちた若者と出会うことは神の驚くべき恩寵と言えるほどなのだ。
3.貪欲、金銭の執着によってリベラリストになる。
ビジネスで成功するため、世とかかわっていくことは、常にリベラリズムの絶え間ない誘惑である。いたるところで若者に攻撃を仕掛けてくる。若者は自分の周囲で、いろんな方法で秘密もしくは信仰の敵のむき出しの悪意を実感する。貿易もしくは(知的)専門職においては、影響を受けず、看過され、みすごされる。
信仰のうちにとどまりながら、禁止された秘密組織に彼を参加させてみれば、なんと、かんぬきとバールは取り除かれ、彼は成功の「開けごま!」の呪文を手にする。若者に対するねたみを持った差別は敵の兄弟関係のうちにやわらぎ、その敵は若者のあらゆる方法で(リベラリズムを)進展させることによる裏切りに報いている。そのような誘惑に野心的な人が抵抗するのは難しい。
自由主義者になりなさい、人々の信条はほとんど問題にならないと認め、結局根本的には同じものであると認めよ。あなたの信仰があなたのためにあるように、ほかの宗派の信仰も同じく良いものでと認めることで、あなたの心の広さを示しなさい。彼らの知識の範囲で、彼らはあなたと同じく正しいのであり、人が信ずるべきことは大部分は教育の問題であり、個人の性質の問題なのです。
そうして、あなたは、自らの信条の狭い制約から逃れた心の広い人間として、すぐにでも激励されることだろう。あなたは広く支援されるようになる、というのも、リベラリズムは改宗者にとても寛容だからだ。「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むならば、これらのものを皆あなたにあげよう(聖マタイ4・9)」と、サタンは砂漠でイエズスキリストに向って言っている。
リベラリズムへと逸脱させる通常の原因がこのように存在するわけで、こうした原因(3つの頭を持つ獣)から他のすべてが生じる。世界と人心を経験する者はだれであれ、それらを発見することができるのです。
How Catholics Fall into Liberalism Fr. Felix Sarda y Salvany
Chapelle Notre Dame de la Medaille Miraculeuse
世界中の多くの人々が巡礼地として訪れる奇跡のメダイノートルダム礼拝堂。1830年、聖母が愛徳姉妹修道会のカタリナ・ラブレ修練女の前に出現した教会です。
この教会で、多くの巡礼者はご遺体が安置されている聖カタリナ・ラブレの前で取次ぎを願ってお祈りをしています。
1.1830年7月18日-19日の最初のご出現の場所。聖母が座られた椅子はここに置かれていた。
2.金の地球を持つ聖母像。1830年11月27日、夕の5時30分、聖カタリナにメダイが示された場所に置かれた。
3.聖ルイズ・ド・マリアックの聖遺物箱。聖ヴィンセンシオと協働の愛徳姉妹会創立者
4.聖カタリナは1830年12月、ここで聖母の御出現を見る(正確な日付は言われていない)
5.1830年7月18日の最初のご出現を表す壁画
6.聖カタリナ・ラブレの遺体
7.聖遺物箱 聖ヴィンセンシオ・ア・パウロの心臓
ヴォルフスブルクの聖アウグスティヌス教会(St. Augustine Church)
ドイツのヴォルフスブルクの聖アウグスティヌス教会は、13世紀にゴシック様式で建築され、18世紀にバロック様式へと適合させるために改修されます。第2次世界大戦が1945年に終結した時は、内部は完全に破壊されていました。
最近になって第2バチカン公会議後の「交流のひな型"communion model" 」にふさわしい教会としてデザインしなおされ、神聖な祭り(犠牲)がおこなわれる場所としてふさわしくない、不適切な平等主義が注入されるにいたります。
移動式の中央祭壇は、まさにこのような考えのもと発案されたものなのでしょう。
ダンスを踊っているのはムスリムの人
天主堂がこのような集会・交流・舞踏に利用されていることは、カトリック信徒として嘆かわしいことであり、このような状態を許しているのは、まさに高位聖職者であり、バチカンなのです。
キリエ・エレイソン!
アントン・ブルックナー
カトリックを代表する作曲家の中で、意外に知られていない作曲家がアントン・ブルックナーです。
管理人は、クラシックミュージックが好きですが、特にオルガン曲が好きです。オルガンの音色を聴いているときに、多くの作曲家の魂の声を、天の御父は聞いていらっしゃるのだろうかと、その御耳に快適に響いているのだろうか、勝手ながら想像しています。
特にオルガン曲と言えば、パレストリーナやウォルター、フィッシャーは有名ですが、最近知った中で、アントン・ブルックナーという方がいます。彼の残した作曲の中で宗教音楽「テ・デウム」は傑作です。
http://www.youtube.com/watch?v=0VWOiBdgbLk
アントン・ブルックナーは多くの宗教音楽を残し、教会史の中でも高く評価されています。そういった宗教音楽を聴いているだけで、自分の祈りの声も願わくは天に届かんことをとおいう思いに駆られます。
しかし残念ながら親族には、誠に遺憾な音楽を好んで聞く者がいますが、本当に残念です。彼は聞く耳を持たないようです。
いかがわしいCDのジャケットを持っていたので、捨てたほうがよいと促しましたが、友達のだというので、友達に返した方がよいといったのにもかかわらず、相変わらず車の中で聞いているようです。
ほんとに心を乱す音楽を聴いていると、心も荒れてくるものです。彼は今、反抗的な態度でもって接してくるのです。
天主様が、彼を導いてくださいますように! キリエ・エレイソン!
ファティマの聖母と数回にわたる私的示現
ファティマにおける聖母のメッセージは、私たちに何をもたらすのでしょうか?
悲劇でしょうか?それとも希望でしょうか?そのメッセージの厳しさから、私たちは、自分の罪深さに打ちひしがれそうな気持になります。
牧童3人は、聖母から天国行きを保証されました。しかし、ほんの子供にすぎないのにもかかわらず、地獄の光景をもお見せになりました。死後の天国行きの約束がなければ、子供たちでさえ地獄の光景を見て押しつぶされそうな気持になったのですから、罪深い私たちはどれだけ恐れなければならないことでしょうか。
牧童の一人ヤシンタに、聖母が私的にお会いになったときがあったそうです。
ヤシンタが病気になって(同時にフランシスコも病気に)から聖母の訪問がありました。その中で聖母は、もうすぐフランシスコを天国に連れて行くこと、罪びとのためにたくさんお祈りをしたいかどうかを尋ねました。ヤシンタは喜んで「はい」と応えました。
聖母は、ヤシンタが病院でとても苦しむことになるけれども、それは罪びとの回心のため、そして、けがれなき御心に対して犯される罪の償いとなることを、ヤシンタに述べたそうです。
ヤシンタはそのことを見舞いに来たルシアに語りましたが、頻繁に見舞いに来るルシアと一緒に、何時間もあの奇跡的な聖母のご出現に関して語りました。
牧童3人に共通することは、天国への強い憧れと、罪びとの回心のために自らを犠牲にすることをいとわない精神です。ヤシンタは、小さな女の子なのに、罪びとの回心のために自ら犠牲となることを受け入れ、事実、病院でとてもとても苦しみました。
喜んでそんな苦しみを追うことがなぜできるのでしょうか?
それは、実はとても単純なことだと思うのです。
強い天国への憧憬こそ、彼らの英雄的なカトリック的な自己犠牲という強い衝動に駆られたのだと思うのです。もちろん、聖母を悲しませたくないという気持ちもあったでしょう。主イエズスが、侮辱され悲しまれているので慰めたいという気持ちもあったに違いありません。
けれども、聖母の御出現を通して、天国の存在を頭の中ではなく、確実に存在するということを肌で感じた牧童たちは、霊魂の不滅という現実をまざまざと感じ、死後に天国か地獄かという避けられない選択肢が迫っていることを直感したはずです。
フランシスコはできるだけ地獄のことを考えたくなかったそうですが、悪魔の姿を見て驚き
地獄の存在を認めざるを得ませんでした。地獄に行きたくない、フランシスコはその恐怖に駆られました。天国への思いを強くしたことでしょう。
私たちも地獄を恐れて、天国に行けるように聖母の取次ぎを願わなければなりません。
天主よ、われらを悪より救いたまえ!
秋田の聖母の個人的解釈
カトリック信徒として秋田の聖母のメッセージについて、解釈することをお許しください。
日本よりも海外での認知度が高い秋田の聖母のご出現に関して、聖母が日本の地をお選びになったことが、いったいどういうことなのかはじめのうちは全く理解できませんでした。
日本では多くの殉教者の血が流され、聖母が日本において多くのお恵みを注ぎたいと思われているとよく耳にします。
確かに聖母が日本を愛されている一つの要因ではあると思います。歴史的に見ても、プロテスタント諸侯が大規模にカトリック教会に攻勢を仕掛け、多くのカトリック信徒を失う一方、イエズス会が反宗教改革の旗持ちとなり全世界に福音をもたらし多くの信徒の獲得に動きますが、なかでも神父フランシスコ・ザビエルは日本の鹿児島に到着し、終生天主に従う誓いを立てた8月15日の日とまったく同じ日に、聖母マリアに日本をお捧になりました。
初めて日本に福音がもたらされたのは、聖母を愛した聖フランシスコ・ザビエルを通してであり、到着した日が聖母の祝日の日であったというこの不思議な縁が、日本を強く愛される所以であり、それゆえ、聖母はあのファティマにおけるメッセージを携えて、日本の地をお選びになり、ふたたび重要なメッセージを残してくださいました。
秋田の聖母のメッセージ
聖母が秋田の地に残したメッセージです。3度シスター笹川の前に姿をおあらわしになり、その時に残されたメッセージが以下の通りです。
参考にしたサイトは「秋田の聖母マリア101 New Life Network」です。
第一の御告げ(シスター笹川に対して)
「私の娘よ、私の修練女よ。すべてを捨てて、よく従ってくれました。耳の不自由は苦しいですか。きっと治りますよ。忍耐してください。最後の試練ですよ。手の傷は痛みますか。人々の償いのために祈ってください。ここの一人一人が、私のかけがえのない娘です。聖体奉仕会の祈りを心して祈っていますか。さあ、一緒に唱えましょう。」
シスターのお祈り後、ふたたび
「教皇、司教、司祭のためにたくさん祈ってください。あなたは洗礼を受けてから今日まで、教皇、司教司祭のために祈りを忘れないで、よく唱えてくれましたね。これからもたくさん唱えてください。今日のことをあなたの長上に話して、長上のおっしゃるままに従ってください。あなたの長上は、いま熱心に祈りを求めていますよ。」
第二の御告げ
「 私の娘よ、私の修練女よ。主を愛し奉っていますか。主をお愛しするなら、私の話を聞きなさい。これは大事なことです。そして、あなたの長上に告げなさい。
世の多くの人々は、主を悲しませております。わたしは、主を慰める者を望んでおります。天の御父のお怒りをやわらげるために、罪人や忘恩者に代わって苦しみ、貧しさをもってこれを償う霊魂を、御子と共に望んでおります。御父がこの世に対して怒りたもうておられることを知らせるために、御父は全人類の上に、大いなる罰を下そうとしておられます。御子と共に、何度もそのお怒りを和らげるように努めました。
御子の十字架の苦しみ、御血を示して、御父をお慰めする至愛なる霊魂、その犠牲者となる集まりを捧げて、お引止めしてきました。祈り、苦行、貧しさ、勇気ある犠牲的行為は、御父のお怒りを和らげることができます。あなたの会にも、それを望んでおります。貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの忘恩、侮辱の償いのために、改心して祈ってください。各自の能力、持ち場を大切にして、その全てをもって捧げるように。在俗であっても祈りが必要です。もはやすでに、祈ろうとする霊魂が集められております。形にこだわらず、熱心をもってひたすら聖主をお慰めするために祈ってください。」
「あなたが心の中で思っていることは、まことか?まことに捨て石になる覚悟がありますか。主の浄配になろうとしているわたしの修練女よ。花嫁がその花婿にふさわしい者となるために、三つの釘で十字架につけられた心をもって誓願を立てなさい。清貧、貞潔、従順の三つの釘です。その中でも基は従順です。全き服従をもって、あなたの長上に従いなさい。あなたの長上は、良き理解者となって、導いてくれるでしょうから。 」
第三の御告げ
愛する私の娘よ、これから私の話すことをよく聞きなさい。そして、あなたの長上に告げなさい。
前にも伝えたように、もし人類が悔い改めないなら、御父は全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。その時、御父は大洪水よりも重い、いままでにない罰を下されるに違いありません。
火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。よい人も悪い人と共に、司祭も信者と共に死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々をうらやむほどの苦難があるでしょう。
その時私たちに残る武器は、ロザリオと、御子の残されたしるしだけです。
毎日ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって司教、司祭のために祈ってください。悪魔の働きが教会の中まで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。
わたしを敬う司祭は同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒されて、教会は妥協する者でいっぱいになり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。
特に悪魔は、御父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることが私の悲しみです。これ以上罪が続くなら、もはや罪の許しは無くなるでしょう。
勇気をもって、あなたの長上に告げてください。あなたの長上は、祈りと償いの業に励まなければならないことを、ひとりひとりに伝えて、熱心に祈ることを命じるでしょうから。」
しばらく間をおいて
「あなたに声を通して伝えるのは今日が最後ですよ。これからは、あなたに遣わされている者と、あなたの長上に従いなさい。ロザリオの祈りをたくさん唱えてください。迫っている災難から助けることができるのは、私だけです。私に寄りすがる者は、助けられるでしょう。」
日本の現況とメッセージの内容の類似性
聖母のメッセージの内容はとても信じがたく、多くの方に戸惑いを与える内容です。聖母は来たるべき災難(天罰)を予告し、それを避けるための償いの祈りと犠牲を要求しているのです。
その元凶は当然人間のなせる罪の行いです。罪深い人間が御父を悲しませ、その怒りをできるだけ和らげてくださっている御子と聖母の姿が心痛ましい。その努力でもってしても、御父を慰めることができないほど怒りに満ち溢れている。いつ、天罰が下されてもおかしくない状況であるというのです。
そのメッセージがファティマの第3の秘密と関連性があると言われていますが、この秋田の地で、これだけ重要なメッセージを聖母が残してくださったということは、この日本という地も例外なく天主の怒りに触れている罪が蔓延っていると推測できます。
特に管理人が注目しているのは、「洪水よりも恐ろしい火」という趣旨の発言です。
「洪水」という言葉は、火の海との関連で語られていることから、洪水は御父の怒りを表す言葉であることがわかります。私たちが知る神の御怒りとしての洪水はあの旧約時代のノア(ノエ)時代の洪水が思い浮かびます。
旧約の時代に地上に蔓延る悪を見て、洪水で罰することを良しとした神が、再びこの時代に地上を火の海にする罰をおあたえになるかもしれないその危機的状況から、今の日本の現状と酷似すると管理人は思うのです。
2011年3月に日本は東北に大きな津波を受けて、多くの犠牲者をだし、多くの町や村が被災しました。また、水素爆発により放射能汚染物質が漏れて、今でも復興からほど遠い状況です。
津波は私たちに大きな悲しみをもたらしましたが、もしそれだけなら、私たちはまた、両親を失った子供たちが示した前向きな明るさのように、復興にむけて大きな前進を期待できたでしょう。「津波」がもたらした苦しみを乗り越え、時間の経過ととも心の傷は癒えていくでしょう。
しかし、地震後の津波により原発事故が起き(地震による損壊が原因だとする説も)、福島の地のみならず、日本の広範囲にわたって、放射能汚染物質が降り注ぎました。
専門家ではないので放射能汚染物質による影響がどれほどなのかわかりませんが、チェルノブイリ事故によって、いまだに高濃度に汚染された町は人が住めないレベルにあるということから考えると、日本の福島のみならず、これから多くの地域が同じような被害を被るだろうということは推測できます。福島原発事故はまだ収束しておらず、プールの中の使用済み燃料棒も処理できていない状況を考えると、課題は山積みだからです。
福島の原子炉の「熱」を冷やすために大量の「水」で処理する必要がありますが、プールの燃料も冷やす必要があり、膨大な汚染水が出てきます。
聖母のメッセージで、「洪水よりも恐ろしい火」に関連して、原子炉の「熱」を何十年冷やし続ける必要があるように、天主の御怒りをなだめるためには本当に気が遠くなるような償いが求められている、そして、その怒りは原子炉の熱のようにふつふつと煮え立っているのではと思うのです。
火が天から降りてくるということは、まさにその時が天罰ということでしょう。
同じく、福島の廃炉に向けた原子炉の冷却に失敗した時、本当の意味でその時が天罰なのではと思うのです。なぜなら、廃炉に向けて最低30年かかるそうですが、冷却に失敗すると再び、大量の放射能の水蒸気が漏れて、爆発を起こし、使用済み核燃棒を吹き飛ばし、もはや日本は人が住む国ではなくなるでしょう。
これは日本における最大の災害ですが、これとは別に同時期に、全世界で天主の怒りが降り注ぐと考えられるのです。
聖母が日本をお選びになってメッセージを伝えたのは、全世界の危機の縮図がこの日本だからなのではと思うからです。原子炉の廃炉は最低30年です。時間は差し迫っているのかもしれません。
聖母よ、罪びとなるわれらのために祈りたまえ!