カトリック教会と背教
カトリック教会は危機にあるということはもはやだれも否定しえない事実でしょう。もし、否定されるカトリック信徒がいるのなら、めくらになったか、ものの見事に近代主義と自由主義に染まってしまったかのどちらかだと思われます。
現代世界はすばらしい、すべての人は良い人だ、ハリウッド映画のような世界が私たちの理想だ、と思っている方は、良識を失ったか、理性を失ったかとしか考えられません。
カトリック要理を再び思い出してみましょう。世界は堕落に満ちていて、原罪が私たちを支配ている、これが本当の現実です。私たちは聖職者による性的虐待を忘れてしまったのでしょうか?カトリックの教えはすでに聖職者の心の中から消えてしまっていないでしょうか?福音の伝道という使命を聖職者は忘れてしまっていないでしょうか?ファティマの聖母の御出現とその警告は過去のものなのでしょうか?
管理人はすでに幾人かの司祭の口から、信じられないことを耳にしています。つまり、聖体変化はもはや記念の行いであって、プロテスタントの考えるそれと同じであること。それとは、トリエント公会議で表明された全実体変化(トランスブスタンシエーション)ではなく、シンボルそのものであるということです。また、聖母マリアの童貞、処女を疑う聖職者もいます。少なくともカトリックの教えははっきりしています。聖変化は全実体変化であり、聖母は処女であるということです。この教えを、もはや信じない聖職者がいるという悲しい現実を私たちカトリック信徒は知るべきです。このような恐ろしい背教は、もはや多くの信徒が目の当たりにしているのではと予測しています。
これは重大な信仰の危機です。信仰のない聖職者から影響を受けて信徒となった場合、彼らは、えり好みしてカトリック教会の教えを受け入れるようになるかもしれません。つまり、この教えは自分に合わないから、実践せずに聞き流すということが起こり得ます。そうなった場合、もはやカトリック信徒とは言えません。すべての教えを受け入れてこそ本当のカトリック信徒というべきだからです。
第3のファティマの秘密で予告されている「(教会の)トップから始まる背教」について、すでに深刻であるということは身をもって実感しており、そのような聖職者のミサに預かることは自ら信仰の危機にさらすだけろうと思います。全実体変化を信じない司祭のミサに預かることにいったい何の意味があるのでしょうか?カトリックの要理を否定する司祭からどうしてそのままのかたちでカトリックの教えをいただけるでしょうか?御聖体を尊重しない(もしくは信じていない)司祭からどうして聖体拝領ができるでしょうか?No way!
第2バチカン公会議はカトリックの伝統の光に照らして解釈するという思想がいかに危険で、いかに詐欺であるかということを知るべきです。このような背教は、残念ながら第2バチカン公会議を境にして大きく動き出したからです。世界との和解を訴えたのは、まさに第2バチカン公会議を開催した教皇ヨハネ23世でした。異教の神々を奉じ、無信仰の者たちに牛耳られているこの世界におもねること、これを望んだのは、まぎれもなく教皇ヨハネ23世だったのです。
SSPXの分裂と教会の危機
さて、SSPXの分裂はどうやらカトリック教会の教皇庁から由来している可能性が大きいということがわかってきています。現段階では推測ですが。
ローマとの実務合意を果たせなかったSSPX幹部のうち、総長であるフェレー司教は「ローマに騙された」という表現を使って非難しました。昨年のSSPXのごたごたは、まさにその様相を呈していました。2つのルートからSSPXへのアプローチがあり、どちらもどちらとして受け取ったために、SSPX内で混乱が生じたように思われます。
具体的に何について「ローマに騙された」と言っているのかはわかりませんが、この強い非難がローマの裏切りであるということを物語っているのは想像に難くありません。非公式ルートからの信頼に足る情報をうのみにしたことが、逆にSSPXをローマへと引き入れる手引きとなり、うまく公会議教会へと吸収する罠だったのではないかと個人的に疑っています。
総長フェレー司教はかつてはローマが変わったという趣旨の発言をして、ローマとの実務合意を専決事項として突き進んできましたが、どうしてローマが変わったということが分かったのでしょうか?
25年前のヨハネパウロ2世のが提唱した世界平和の祈りの集会を記念して、2011年にアッシジの祈りの集いがあり、カンタベリー大主教や東方正教会、ユダヤ・ヒンドゥー・仏教の諸宗教が集ってお祈りをしたからでしょうか?
定年引退を認められたレヴァダ司教の代わりに、レーゲンスブルクのミュラー司教が教理省長官として大司教の位に上げられたからでしょうか?【(参照)ミュラー司教は、聖ピオ10世会を敵視しています。最近では、聖ピオ10世会の司教叙階25周年で発表された3人のSSPX司教による宣言が直接の原因で、ローマとSSPXとの関係を断つことを望んでいる。(参照)】
実のところ、信頼に足る非公式ルートを信頼しすぎたために騙されたのではないでしょうか?
仮にローマが変わったのなら、フェレー司教が言うようにこれからは戦う司祭ではなく、お祈りの司祭が求めらるのでしょうか?そのため、戦う司祭は、説教壇のみならず、ローマの非難をしてはいけなくなり、SSPX幹部のローマとの和解に反対する者は、ある者は見せしめに追い出され、ある者は従順の名のもとに僻地へ左遷されました。このSSPXの強硬路線は、ローマ幹部のそれとどことなく似ていると思われた方は多いかもしれません。
第2バチカン公会議をすべて受け入れろ、新ミサを受け入れろ、さもなくば教会法上の法的地位は保障されない。ともかく、第2バチカン公会議を非難をすることは論外であるかのように、言われ続けたのはSSPXの方ではなかったのではないでしょうか?それを忘れてしまったのでしょうか?
そして、ここ最近総長のフェレー司教が実務合意を撤回する発言があったそうです。カンファレンスでの発言なので、書面上としての撤回はまだありませんので、本当に撤回したのかどうかは確認が取れていませんが、もしそうなら、ローマとの和解に対して非難し、不従順によって除名されたSSPX会員を再び復帰させるべきではないでしょうか?なぜなら、この分裂のきっかけは、教義の一致なくして実質合意なしという方針をやめて、SSPX幹部は教義上の一致はないものの、実質的一致は可能と変更したことにあり、それを非難した司祭が左遷されて無理強いで従順を求められ、しぶしぶ退会せざるを得なくなった司祭がいるからです。ローマが騙したから仕方ないという理由は認められないでしょう。騙される前に、ウィリアムソン司教がはっきり言っていたように彼らローマ人はうそつきであるということを聞かなかったのでしょうか?もし、復帰がなければ、結局SSPXはメンツを重んじているのであり、いったん退いた会員に汚名を着せた過去の種々の声明によって退いた司祭たちを永遠に傷つけるだけでしょう。
聖ピオ十世会は公会議と新ミサの誤謬の断罪をやめるつもりはないと主張していましたが、それは残念ながら一時期は嘘であったことがわかります。これからは戦う司祭はいらない、スピリチュアルな司祭が必要だとSSPX内のある司祭が言ったようです。(ウィリアムソン司教のカンファレンスでの発言)また、シャザール神父の手紙の中には、ティシエ司教がフェレー司教の第2バチカン公会議寄りの発言を知っていると述べたところからも推測できます。一時期は、有効性を疑ってきた新ミサを合法的に発布されたlegitimately promulgatedものとし認め、第2バチカン公会議をほぼ(95%)受け入れる状況までフェレー司教は主張を押し進めてきました。
ローマが沈黙している(沈黙の背教という)カトリック教会内の腐敗を批判することは、ローマ幹部にとっては最悪でしょう。しかもその元凶が第2バチカン公会議であると主張されることは、ローマは我慢ならないのです。実際、教義省長官ミュラー大司教は、25周年司教叙階の宣言に強烈に不満を示しました、SSPXとの関係を断つことを望んでいるということが、ドイツの週刊誌FOCUSによって報告されています。
また、第2バチカン公会議を否定することに対して我慢ならないローマとの合意に向けて、密約としてSSPXは事実上第2バチカン公会議の否定はしないということがあったのではないかというのが、管理人の憶測です。さもなくば、ローマとの妥協的な合意はあり得ないからです。総長フェレー司教がローマに傾きかけ、ウィリアムソン司教やその他のSSPX司祭を追い出したもしくは追いやった事実を見れば十分です。また、第一義である教義上の合意をなくすのですから、SSPX幹部は極めて危険なかけをしたということがわかります。天主の教え(Teaching)を妥協の材料にしたのですから。時には妥協が必要という言葉は、自殺行為に匹敵することをここで申し上げておきましょう。天主の教えを妥協の材料にするのはいかなることがあっても認められませんので。
前回の記事では特に聖ピオ10世会関係者から、なんら訂正の発言がありませんでした。個人的に驚いているのは、1週間近く、カトリック部門で一番読まれ続けていた記事だったということです。聖伝に興味を示す多くのブログ村の読者がいるということです。また、ブログ村はおそらく1週間丁度すぎると、順位表示から強制的に外されるようです。1週間の間なら、ブログ村を経由した聖伝支持者は当ブログの記事を目の当たりにしたことですし、反論の機会もあったでしょう。
そういう意味で前回の記事は多くの関係者に目についたはずですが、批判がひとつもありませんでしたので、聖ピオ10世会支持者が今回のSSPX分裂の危機がSSPX幹部に端を発しているということを暗に認めざるを得なかった、と管理人は解釈しました。(補足:もちろん、ローマの非公式ルートの情報や公式ルート?の情報を信頼したという意味では、その元凶はローマ側にあることは否定しえませんが。)
このことからわかる通り、残念ながら現SSPX幹部のローマとの和解は、信徒からも疑問に持たれていたということがわかります。ウィリアムソン司教の最近のエレイソンコメンツの記事にも証明されている通り、スイスのエコンヌで開(ひら)いた小規模(しょうきぼ)の25周年式典にはわずか200人から300人しか参列しなかったようですし、同所で行われた今年の年次の司祭叙品式=叙階式では会場の椅子(いす)のほぼ半数が空席(くうせき)のままだったということからもはっきりとわかります。SSPXの分裂は信徒間にも亀裂をもたらしたということです。
願わくは、ルフェーヴル大司教がそうしたように、SSPX幹部が再び大声で第2バチカン公会議の近代主義・自由主義を批判し続け、除名された・もしくは退会せざるを得なかった司祭を復帰させ、同じ信仰でひとつとなり、現代の誤謬と闘い続けたまわんことを!
+キリエ・エレイソン
追記
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聖母マリアさまの愛を全ての人が感じることができますように!!!
返信削除神なる御父の最愛の娘であり、神なる御子の母であり、神なる聖霊の配偶者であられる、私たちの母マリアさまの汚れなき御心のうちに!
そう、聖パウロが言うように、私たちの力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのですから。三位一体の神様に愛されたあなたです。あなたの正義が、あなたを滅ぼすことになりませんように。
今も、一瞬の休みもなく世界中の祭壇でいけにえとなってくださっている神なる御子は、その昔、今に生きる私たちのためにも、尊い約束をしてくださいました。母なる公教会の継承の約束です。聖ペトロの座に天国の鍵を渡されたのです。ペトロが完全な者だったからではなく、それは主の選びによるものでした。
主の後継者が舵をきる舟に同乗している私たちは、波たける嵐にあっても、夜通し働いたのに何一つ得るものがなくても、主の後継者に不平を言うのはよしましょう!謙虚に、私たちは自分の力では何もできないことを認めて、全能の神さまに全てを与えてくださるように祈り求めましょう。主の後継者は、共に荒れる世界を鎮めて平和をもたらす霊魂を、そして人々の心を漁ることのできる霊魂を祈り求めておられます。
パパ・フランシスコも、私たちの祈りを求めておられます。
善と美の象徴であったルシファーは、神を超えるものでありたいという傲慢ゆえに堕ちてしまいました。審判者の役目は神なる主キリストにおまかせして、私たちは人々の霊魂の中の、宝を真珠を探し求めましょう。それこそが、天国に通じる道である気がするのです。
+PAX TE CUM+
返信削除5月5日にコメントをくださった方へ
ベイサイドの聖母と思われる御出現についてですが、1つだけ確認させてください。聖母の御出現を判断するのは、その教区を管轄する司教ですが、場合によりローマの関与もあるかと思います。たとえば、メジュゴリエにおける出現はローマによっても否定されました。
ところで、ベイサイドの場合、すでに時の司教によって否定されていることがわかります。ですので、その時の司教の判断に従うことは賢明なことですが、しかし、司教の判断は教皇の不可謬性ような性質を持ちえません。それゆえ、「どんな支持をもやめるべきです。」と言うことを主張する立場にありませんし、司教でさえ判断ミスすることはあり得ます。私的啓示は確かに信徒の信仰を強める場合もあり得ますが、それをもって信じるように義務付けるものではありません。それゆえ、教会が認めた私的啓示でさえ、信者に信じるよう強制することは出来ないのと同様、司教の判断でもって、信じないように強制することもできません。ただ主張できるとするならば、「すでに司教によって否定されているので、公的な支持はされないようにすることが賢明ではないでしょうか。」と主張するのが精いっぱいなところではないでしょうか。つまり、内的にとどめることこそが賢明なことなのだと思います。(出現を支持する場合)
読者様のコメント
このブログに少し記述がありましたが、ベイサイドの聖母出現は偽物です。小野田神父様も否定されていますが、そちらはレジスタンスと関りを持っておられますか?であるならば、シャザル神父様やウィリアムソン司教様に質問されてみてください。はっきりと、確実に否定されるはずです。そして、もし否定されたら、心の中でのどんな支持もやめるべきです。 ://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/c346a136d885800e364da10871920020