カトリック一信徒の日記
前回の記事からずいぶん時間が経ってしまいました。
今回は、一信徒の感じるところを述べさせてください。
明日の夜12日から13日にかけて「聖母マリアの日」を祝います。深夜のロザリオのお祈り後、早朝にフランシスコ教皇が荘厳ミサを行い、全世界を聖母マリアに奉献するそうです。
聖伝支持派の信徒なら、少なからずこのことに疑問を感じていたことでしょう。
なぜなら、聖母の要求は全世界の奉献ではなく、ロシアの奉献だからです。また、前回の記事「聖母マリアの日」の中でもお知らせしましたが、選ばれた巡礼地の中に、「ファティマ」が含まれていないのです。正直なところ、管理人は相当違和感を感じていました。
ファティマクルセーダーのある記事の中で(前に読んだ記事ですがどの記事なのか探し出せずソースを引っ張れませんでした)、教皇に選出されて間もなくのことだったと記憶していますが、すみません、ここははっきり覚えていません。教皇フランシスコ(又はベルゴリオ枢機卿)は、ファティマクルセーダーの神父から重要な手紙を受け取っていました。それは、ロシアの奉献の重要性について語られていたものだったと記憶しています。記憶が正しければ、教皇フランシスコ、もしくはベルゴリオ枢機卿は返事の手紙の中で、聖母マリアの重要性は良く理解しているという好意的な返答をしました。しかし、その中にはロシアの奉献についての言及は避けられていたかと思います。
つまり、フランシスコ教皇はロシアの奉献の重要性について、少なからず理解しているということです。
前回、シリアの紛争拡大を懸念して、フランシスコ教皇がG20でプーチン大統領に手紙を送ったのを思い出します。管理人は、この手紙の中にロシアの奉献をほのめかす記述があったのではないかと淡い期待を込めて憶測しています。そして、教皇はシリアの紛争拡大を防ぐために、信徒にお祈りと断食を要求しました。
今となっては、シリアの内紛は、地域紛争へと拡大しなかったために、私たちは何事もなかったかのように過ごし、アメリカのシリアへの介入は大きな戦争へと発展する可能性があるものだったということを忘れているかもしれません。
けれども、このシリア危機が教皇様をも動かしたという事実を忘れてはいけないと思います。また、10月12日、13日のお祈りの行事も伏線があるということを認識しないといけないと思います。なぜなら、本当の危機は去っていないからです。
それは、ロシアの奉献を先延ばしする今回のローマ教区主催の行事から見ても明らかです。
残念ながら、教皇フランシスコは、元教皇ベネディクト16世のように信仰よりも政治的に活動せざるを得ない状況にあると言えます。たとえば、奇跡の認定のないヨハネ23世の列聖や、無原罪のフランシスコ修道会(he Franciscan Friars of the Immaculate)への特別形式のミサの否定など、公会議体制を着々と固めていくと言った印象を個人的に感じているところです。
また、フランシスコ教皇のカトリックの教えに反するかのような発言が取りざたされていますが、それは回勅による宣言でもなんでもなく、どちらかと言えば、第2バチカン公会議の流れにくみするものであって、大きく取り上げることではないだろうと思います。どういうことかというと、教皇の発言は、第2バチカン公会議の信教の自由の思想そのものであり、「カトリックの神などいない」と言う発言は、その公会議精神の反映にすぎないということです。
よって、聖伝・伝統のひかりのもとで第2バチカン公会議を解釈するというベネディクト16世の思想「継続の解釈」というものは、単なる言葉遊びにすぎないということがよくわかります。
第2バチカン公会議のもたらした「diabolical disorientation」は、まさに深刻なペースで、教会の破壊と全世界の荒廃をもたらしていくだろうことは明らかです。
「悪魔の働きが、教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。わたしを敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協するものでいっぱいになり、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。」(秋田の聖母、第3の御告げの一部)
+キリエ・エレイソン+
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