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2015年4月30日木曜日

ニコラス・グルーナー神父様、Requiescat in Pace

ニコラス・グルーナー神父様 御死去



このブログでも、ニコラスグルーナー神父の記事を扱っています。

手での聖体拝領?否、口での拝領こそ教会法に則っている

ファティマの聖母を世界中に広めようと努力をなさってきたグルーナー神父様は、
2015年4月29日心不全で亡くなられました。

カトリックの伝統を守る努力もなされた聖なる司祭グルーナー神父に、
ファティマの聖母の温かい御眼差しと主の御憐れみによって、安らかな憩いを
乞い願います。

http://www.cfnews.org/page88/files/6eb15beb906fea8f1575799aaf8d3758-375.html


+Requiescat in Pace Fr Gruner.+





2015年2月11日水曜日

ステファン神父の公開謝罪「ICELに従事することをやめます」(2002年10月)


典礼改革のため、ラテン語から英語へ翻訳する典礼国際委員会(1964年)が立ち上がり、当時の諮問委員であったステファン神父は、その後のカトリック信仰の破壊をまざまざと思い知らされ、公開謝罪の手紙を2002年10月に発表しました。神父の心からの懺悔に耳を傾けてください。



Stephen F. Somerville

ローマ典礼のカトリック信徒の皆様へ


私は一神父として、数十年にわたりカトリックの信仰にはっきりと害を与える仕事に携わってきました。今ここで、私は神と教会の御前で心よりお詫び申し上げ、その破壊的な計画に参与することを
断固としてやめることを決意いたします。私が話しているのは、第2バチカン公会議以降の典礼を英語に翻訳する公認の職についてであり、私は英語典礼の国際委員会「ICEL」の諮問委員会のメンバーでありました。

私はカナダのトロント大司教区の一司祭であり、1956年に叙階されました。若き頃より典礼に魅了され、私は1964年に新しくできたICELの諮問委員会のメンバーとして選ばれました。33歳という最も若いメンバーとして、私は典礼論とそれに付随する法規の自身の不十分さに無様にも気づかされ、私たちのうちに常に増していく、過激で進歩的な要素(原因)によって自信満々に提案され押し付けられた大胆な誤訳を前にして、すぐに私は当惑を感じました。気づきながらも、私は委員会の多くの翻訳のうちにある間違いについて声を上げることができませんでした。

いくつかの例を手短に示したいと思います。司祭が頻繁に挨拶するところで「主は皆さんとともに」
と言い、信徒は伝統的に「そして司祭の霊魂とともに」、ラテン語では「Et cum spiritu tuo」と応えます。けれども、ICELはそれを書き直して「また皆さんとともに」としました。このことは全体的に平凡でありながら、かつ「また”also”」という余分な単語を付け加えました。より悪いことは、私たち人間は霊的な魂を持つということを思い出させる単語「霊(魂)"spirit"」を省いてしまったことです。
さらに、聖パウロの手紙にもでてくる「あなたの霊とともに」という(インスピレーションを受けた)4度の繰り返しの使用をやめたのです。

回心の祈りの「私は告白する」では、ICELは3度の「我が過ちなり、我が過ちなり、我がいと大いなる過ちなり。」を省略し、たった1度の「私自身の過ち」として代用したのです。これは、さらなる罪意識の破局の一歩です。

御聖体拝領前、私たちは「主よ、私の(家の)屋根の下まで御出になるほど私は値打ちのある者ではありません。」とお祈りをしますが、ICELはこの部分を「あなたを受けるに値しない」と変更しました。屋根という象徴は、マタイ福音の8章8節ではっきりと繰り返され、子供としての生き生きした具体的なイメージであるのですが、これを省いたのです。

ICELの変更で本当に破壊に至ったのは、特にミサの祈願(oration)です。年間第21主日のコレクト(The Collect)や導入のお祈りはまさにこのことを実証しています。
ここに厳密に訳すと

「おお、信徒の心を一つにする主よ、あなたが命じる愛とあなたが約束される望み(の恵み)とを、あなたの民にお与えください、世俗的な多様さのうちにあって、私たちの心が真の喜びを見出すその場所に留まることができるように。」
(O God, who make the minds of the faithful to be of one will, grant to your peoples (grace) to love that which you command and to desire that which you promise, so that, amidst worldly variety, our hearts may there be fixed where true joys are found.)

ICELの1973年から使われている版では、この部分を、

「父よ、この変節する世界のうちに私たちに終わることのない喜びをもたらす価値(values)を探し求める手助けをしてください。あなたが約束されることを私たちが切望する中で、心のうちに私たちを1つにしてください。」
(Father, help us to seek the values that will bring us lasting joy in this changing world. In our desire for what you promise, make us one in mind and heart.)

ここでいくつかコメントをします。天主を「父"Father"」と呼ぶのは、天主の祈りの「我らの父よ」を除いて、典礼上慣習的ではありません。「探す手助けをしてください"Help us to seek"」が暗示していることは、私たち自身だけで探すことができるだろうことを示し(ペレジアンの異端)ていますが、だが神の助けを幾分欲しているということになります。イエズスは言います。「私がいなければ、あなたは何もすることができない。」と。ラテン語では「お与えください(私たちに)」と唱えますが、ただ「手助けしてください」とは唱えません。ICELが使う「価値"values"」には、流行語としての「価値観"values"」をほのめかしていて、それ(価値観)は今流行りのものであったり、政治的な正しさを言ったり、もしくは人々や、また場所によって変化するものなのです。「この変節する世界にあっての終わりなき喜び"Lasting joy in this changing world"」なんというのは不可能なのです。「切望する中で"In our desire"」から、すでに私たちはその望みを持っていることが憶測されますが、ラテン語では、この望みを謙虚に祈り求めるのです。「あなたが約束されること"What you promise"」の部分では、「神が命じられること"what you (God) command"」を省き、それゆえ私たちの義務感を弱めてしまっています。「心のうちに私たちを一つにしてください"Make us one in mind (and heart)"」の部分は新しい文で、メインの嘆願のように見えますが、先の部分(前文)と一致しないのです。
ラテン語ではむしろ私たちの心を一つにするのは神の絶え間ない働きであることを教え、神の命令と約束を私たちが熟考することで(それは)達成されるのです。明らかに、ICELは新しいお祈りを書いたのです。これら全ての批判は重要なことなのでしょうか?大いに(重要です)。典礼は祈りの法であり(lex orandi)、それは信仰の法(lex credendi)を形成します。もし、ICELが私たちの典礼を変更したのなら、私たちの信仰も変っていくでしょう。(実際)私たちはこの変化のしるしと私たちの周りで起こっている信仰の喪失に直面しています。

ラテン語のカトリック典礼の祈願を弱めてしまったという上記の例で十分であるに違いありません。ICELの度重なる作業(翻訳)のうちに、何千もの誤訳が確かに存在するのです。作業が進んでいくと、私はますますはっきりと批判的になりました。1973年ごろに自主的に諮問委員の職務の期間を終えてから、私は名誉会員と相談役に指名されました。この手紙で、私はこの地位に存在するいかなる事実も否定いたします。

ICELの働きは決して全否定されるものではありませんでした。豊かに兄弟のようにわかちあえたこと、教会の知識の成長的な蓄積、ローマやロンドンその他の場所におけるカトリックの存在、第2バチカン公会議の集会における助言、名高いキリスト教徒との出会い、その他諸々も含めて、好意的な評価を持って思い出すのです。感謝の意を持って2人のICELの同僚を認めます。故ハーバート・フィンバーグ教授とエディンバーグのイエズス会ジェームズクィーン神父は、私よりもずっとはっきりと、模範とすべき正しい翻訳の仕方をその時から知っていたのでした。私がICELでの過去のことを否定するのは、これら積極的な面と人々に対するものではなく、カトリックの信仰と崇拝の腐敗に対するICELの働きが貢献してきたことに対してなのです。この腐敗のために、たとえ個人的なその役割が小さくとも、私は神と聖なる教会に対し謙虚かつ真摯に謝罪をするのであります。

・・・



手紙にはつづきがありますが、割愛します。
http://www.angelusonline.org/index.php?section=articles&subsection=show_article&article_id=2161

+キリエ・エレイソン+


2014年8月21日木曜日

処刑されたジェームズ・フォーリー氏はカトリック教徒

ジェームズ・フォーリー氏の霊魂のために



8月19日に、イスラム教スンニ派の過激組織「イスラム国」が、ジャーナリストのJames Foley 氏が処刑された映像を公開しました。


フォーリー氏は2012年11月に、シリア北部での取材中に行方不明となっていたそうです。その時から、今まで拘束され続けていたのか、それとも、この処刑がすでに行われていて、タイミングとして、この時期に映像を公開されたのかはわかりません。

米軍がシリアで拘束のフォーリー氏ら救出作戦に失敗、今夏に実施

しかし、このタイミングを狙ったのは、アメリカがイスラム国が展開する地域を空爆し始めたことによるのが大きいのでしょう。


ジェームズ・フォーリー氏は、シリア北部のトリポリで捕えられ拘留されました。その後、別の場所に収監されたあと、同僚のManuという方にもあったそうです。そこで、自宅に電話する機会を与えられ、母親と電話で会話をしました。

そのころには、すでにフォーリー氏が捕えられてしまったことがアメリカ中に知られるようになっており、母親も大変心配をなさっていました。

フォーリー氏は電話の中で、母親への気遣いなのか、捕虜としてよりもお客様として取り扱われていることを伝えましたが、母親はすかさずに、「そう言わされているのか?」と聞き返しています。母親の子供に対する思いが、ひしひしと伝わってくる場面です。


この電話でのやり取りは、フォーリー氏が大学に送った手紙の中で確認することができます。

Phone call home A letter from James Foley, Arts ’96, to Marquette.


また、彼は捕虜となってからロザリオの祈りを始めるようになったことが記述されています。
母親と祖母がお祈りをしていたことが記述されており、また、「天にまします」の間にはさんで「めでたし」の祈りを10回唱えるやり方で、100の「めでたし」を唱えるのに、まる1時間かかったそうです。

また同僚のClareとも声を出して一緒にお祈りもしたそうです。一方、地球上の反対側では、彼の通っていた大学で、徹夜のお祈りが行われていました。


わたしは、残酷な処刑動画を見る気は毛頭ありませんが、すでにyoutubeなどにアップされています。そのなかで、イスラム過激派に言わされたとされる「これから私の身に起こることは、米国の独善と犯罪行為の結果だ」の発言があるそうです。

彼は、政治的な道具にされながら命を奪われました。最後の最後まで、彼が自分の信仰を貫き、完全な痛悔を起こしたことを、私は信じて疑いません。彼も捕虜となったときから、死をすでに受け入れていたことでしょう。その中でできることを、彼は全てやり遂げたことでしょう。

彼の霊魂のために、皆様の温かいお祈りをお願いします。

天にまします
「天にましますわれらの父よ、願わくは御名(みな)の尊まれんことを、御国の来たらんことを、御旨〔みむね〕の天に行わるる如(ごと)く地にも行われんことを。われらの日用(にちよう)の糧(かて)を今日〔こんにち〕われらに与え給え。われらが人に赦(ゆる)す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。[アーメン]」

めでたし
「めでたし、聖寵(せいちょう)充満てる(みちみてる)マリア、 主 御身(おんみ)と共にまします。 御身は女のうちにて祝せられ、 御胎内の御子(おんこ)イエズスも祝せられ給う(しゅくせられたもう)。 天主の御母(おんはは)聖マリア、 罪人なるわれらのために、 今も臨終の時も祈り給え。 アーメン」


追記

教皇様は、自身の健康が芳しくなく余命2,3年だ、と記者会見で述べたそうです。
おそらく、この2,3年ということに敏感に反応したのは、カトリック信者のみならず、多くの未信者の方もそうでしょう。

なぜなら、ファティマの聖母の御出現からちょうど100年にあたるからであり、多くの方々が、ロシアの聖母の汚れなき御心の奉献がいつになるのかを、見守っているからです。

そして、聖母によれば、その奉献は時すでに遅いかもしれないが、しかし、御心は必ず勝利を収めるということは確実ですが、世界情勢を見渡せば、危ない時代に突入しつつあるということが誰の目にも明らかです。このまま世界の各地で戦争に突入すれば、第3次世界大戦は目前です。

昨年は、シリアの紛争がきっかけで、教皇フランシスコは祈りと断食を呼びかけました。その当時も、ロシアとアメリカの介入という危険性が増し、緊迫した状況が続きました。祈りと断食により、いったんは収束しました。

しかし、イスラム国の台頭により、イラクではアメリカによる限定的空爆が始まっていますし、シリアも内戦状態で、混沌とした状況が続いています。

ファティマの聖母の御出現から100年目の2017年は、ある意味大きな節目を迎えるのかもしれません。


また、8月20日はピオ10世教皇が亡くなられた日で、21日は信徒の弔問のためご遺体がバチカンの聖堂に安置されました。その教皇様の死を思い起こします。

同じく、1879年の8月21日は、ノックの聖母の御出現がありました。一般信徒にも出現したこの聖母の御出現は、ファティマやルルドと言ったご出現とは性格が異なり、完全な沈黙のうちにご出現が始まり、そして終わりました。この混沌とした世界に沈黙が教えてくれることは、真の神への侮辱にたいする痛悔と、そのためのお祈りと犠牲ではないでしょうか?ただひたすら痛悔とお祈り。


+キリスト信者の助けなる聖マリア、われらのために祈りたまえ+

2014年4月1日火曜日

教皇ピオ(ピウス)12世の取り成しと思われる奇跡

教皇ピオ(ピウス)12世と思われる奇跡が調査されて数年

2011年の古い記事です。


マリアとウンベルト
教師であったマリアが、致死率の高い白血病の一種バーキットリンパ腫と診断され、身ごもった子も大きな危機にさらされていました。夫ウンベルトは、2005年に亡くなったヨハネパウロ2世にお祈りと仲介を求めました。すると、夢の中で、ヨハネパウロ2世が現れたのですが、彼はある写真を見せて、「この方なら応えてくれるでしょう」と仰った。その方にお祈りを求めると、最終的には完治したというストーリーです。その方とは、教皇ピオ12世です。

ただ、その後の経緯がどうなったのかわかりません。聖徳の誉れ高い教皇ピオ12世の、いち早い列聖を待ち焦がれます。

近代以降、教皇で聖人の位に上げられたのは、ローマ・ミサ典礼を保護した聖ピオ5世と、回勅「パッシェンディ」で近代主義を批判した聖ピオ10世のみです。

昨年の情報によれば、今年、教皇ヨハネ23世とヨハネパウロ2世の同時列聖が行われます。ヨハネ23世に関しては、奇跡の認定がありませんが、列聖の運びとなっています。




Possible Pius XII Miracle Investigated


EWTN News-

Maria Espositoは、致命的な癌(がん)から命を救ってくれたと信じている男性「ピオ12世教皇」について、教会と社会に説明するため、ローマへとやってきました。

「このことを確信しています。私の治癒は恩寵であり、教皇ピオ12世とその取り成しによるものです。わたしは聞き入れられました。お祈りを通してわたしたちは聞き入れられたのです。私たちの多くがです。」と、42歳の教師がEWTN Newsに応えました。

ローマ市長の支援も取り付けたアイデアである戦時の教皇に捧げられた記念館(museum)の創設を公にサポートするため、夫妻は、イタリア南部ナポリの沿岸にある町カステッランマーレ・ディ・スタービアの自宅から、ローマへやってきました。


教皇ピオ12世は1939年即位、亡くなる1958年まで在位しました。マリアが、2005年7月、白血病の一種であるバーキットリンパ腫と診断された後、マリアと夫ウンベルトの人生で初めて彼(教皇ピオ12世)と関わりがありました。


ウンベルトは言いました。
「妻が病気であり続けるのを見て、私は、2005年4月2日に亡くなったヨハネパウロ2世にお祈りを始めました。」

「ある夜、彼が夢に現れて、言いました。彼は何も話しませんでした。けれども、教会と聖人たちの肖像のある複数のカードを私に見せ始めました。その後、彼はある写真のところでとめました。そこには、小さな帽子と黒いチュニックを身に付けた黒い服装をした神父がいました。メガネを付けてほっそりしていました。」

「そして、そこで止まって、彼は言いました。『この男性に頼れば、応えてくれるでしょう。』と。」

ウンベルトはその人物が誰なのか、2週間後に母親が教皇12世の記事のあるカトリック機関誌を携えてやってくるまで、知らなかったと言いました。

「教皇の顔写真を見てすぐに、マリアに言いました『ヨハネパウロ2世が指したのはこの方だよ。彼に取り成しを願い、お祈りをしよう。』」

夫妻は、その時から症状が良くなったと言いました。たった一つの化学療法に従って、癌が完全に無くなるまでになりました。

ウンベルトは言いました。
「最初のかかりつけの医者とお話しし、これは奇跡かどうかを尋ねると、『No,no,no、このことについて話すのはよしましょう。』と言いました。」

「かれらは、そういったことを信じませんから」と、マリアは付け加えて言いました。

治癒はピウス12世と認められるので、奇跡の提起がよりいっそう議論の的となります。批評家は、ナチスのユダヤ人迫害に対して教皇が反対の立場を取らなかったことに対して、非難をしています。(ピウス12世)教皇の支持者たちは、ローマだけで5000人のユダヤ人の命を助けたとして、その非難を強く否定しています。

奇跡の申し立てが教会によって調査されて、教皇ピオ(ピウス)12世が家族の人生をより良いものに変えてくれたと、夫妻は確信しています。

「たとえ、それが私の妻を救ったピオ12世による奇跡でなくても、私の心の中では、その奇跡はピオ12世によるものです。そして、私たちを再び宗教に回帰させてくれたのです。」とウンベルトは言いました。

「私たちがカトリックではなかったというのは事実ではありません、しかし、私に関しては、例えば、散発的に教会に行くだけのものでした。少しお祈りをするだけでした。この出来事の後、私たちはミサを欠かしたことは決してありませんし、毎朝、ともにお祈りを捧げています。」



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廃れるカトリック教会
Details of possible Pius XII miracle emerge

2014年3月28日金曜日

手での聖体拝領?否、口での拝領こそ教会法に則っている

ファティマクルセイダーのニコラス・グルーナー神父記事紹介



「口での御聖体拝領か、手での御聖体拝領か」と言う問題について、ファティマクルセイダーのニコラス・グルーナー神父の記事を紹介します。「ファティマクルセイダー28号」の中の古い記事(1989年6月7月)ですが、御聖体に関する指針も、現在でも有効です。教会法の視点からとらえた、御聖体拝領のあり方についてです。グルーナー神父によれば、手での御聖体拝領はかなり制限されているということのようです。

しかし、日本のカトリック教会では、手での御聖体拝領が主流になっています。これはローマカトリック教会の教会法(や神の啓示)よりも、日本のメンタリティや伝統を尊重することを意味していますが、このことは汚聖が蔓延る状態をゆるすことになり、カトリック司教団の責任は相当重いものです。

大切なのは、私たち霊魂の救いです。教会法もこの第1義に基づきつくられれているのであり、その第1義を軽視して、日本の精神にそぐわないからとか、メンタリティに合わないから、手で御聖体
の拝領を強要するのでしょうか?

もし、日本のメンタリティに合わせるのなら、御聖体への態度として、土下座を敢行するべきだというのが、大方の日本人が納得する結論です。なぜなら、私たち罪深い人間は、どれだけ天主に対して侮辱をし、軽視し、毎日罪を重ねて、それゆえにどれだけ償いを果たさなければならないのかを鑑みれば、日本国民のメンタリティに合わせて、土下座を持って、天主に赦しをこい願わなければならないからです。

残念ながら日本の司教団はそのことを思いつかなかったのでしょうか、日本人のメンタリティや伝統(非キリスト教的)を尊重するけれど、天主に対する必要不可欠な敬いと、第1義である霊魂の救いを、司教団は忘れてしまっているのでは、と言わざるを得ません。ここに、第2バチカン公会議の悪しき司教団体制という本質が見えてくるような気がします。

この記事を読まれたイエズス会の司祭、サレジオ会、フランシスコ会などに属する神父様は、是非、今後は手の御聖体拝領を慎むべきではないでしょうか。これは、一信徒のお願いではありません。教会法を勉強なされば、手での御聖体拝領は、汚聖につながる可能性があると言うことが理解できるはずです。もし、それを知りつつ司教団の命令を理由に、手への御聖体拝領を許し続けるのならば、天主への不敬を許し続けることになり、永遠の罰を免れることはありません。


また、カトリックの信徒も、今後は手での御聖体拝領をやめ、口(舌)で直接いただくことをお願いします。これは強要でもなんでもありません。それは、私たちの霊魂のために、教会法がそうするように定めているのですから、私たちの霊魂のために書かれた教会法に従わない理由がはたしてあるでしょうか?

記事の下線は管理人が強調して付記しました。また※注意書きも管理人が付け加えています。
補足ですが、教会法と言えば、実際は、カトリックのキャノン(カノン)のことを一般的に指します。ここには聖職者や信徒の権利や義務が定められています。

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なぜ、手での御聖体拝領は禁じられているか

by Father Nicholas Gruner, S.T.L., S.T.D. (Cand.)

以下は、非常に制約された状況下において手での御聖体拝領が許されるという規制についての解説です。

忘れてはならないことは、口での御聖体拝領は教会のきまり(the law of the Church)です。手での御聖体拝領は、法の例外(特別な許し・許可'indult'という)であって、バチカンが概説する全ての条件が存在する場合に限って許されるのであり、それは命令されることではありません。もし、条件が整わないのなら許可は与えられず、口での御聖体拝領のみが許されるのです。


公文書が示している通り、その7つの条件は2つの原則に基づいています。この2つの原則は教皇が望んだからと言って変更できるようなものではありません。その原則は、神の啓示そのものに基づいているからです。


(御聖体に対する)あらゆる醜聞の原因を回避すること


最初の条件は(御聖体に関する)すべてのスキャンダラスな原因を避けよということ。言うまでもなく、この原因がゆるされて、カトリック信徒が「(御聖体)真の現存」の信仰を喪失したのなら、救霊に関して良くないことです。というのは、御聖体にまします「真の現存」の信仰こそが、救いに必要だからです。

もし手で聖体拝領ができると言うぜいたくさが、信仰の喪失につながり、結果永遠の命を喪失してしまうのなら、(神の現存の醜聞の原因を避けよと教える)聖書の言葉や魂への愛が手による御聖体拝領の禁止を要求するのを、誰が知りえないというのでしょうか。だから、バチカンの文書によって、この醜聞がないように、手での御聖体拝領を許可する明確な条件にしたのです。

つまり、ある場所や教区または地域にて、カトリック信徒が、一人でさえ、それで「真の現存」の信仰をその場で失うのであるなら、たとえ、司教やバチカンが(手での御聖体拝領を)許可したとしても、神の啓示そのものと同様、その許可をした法そのものの条件によって、秘跡執行者(minister of the Sacrament)、神父、助祭、特別聖職者の重大な責任のもと、その場における手での拝領は禁じられることになります。そのような状況下で、司教も教皇でさえもそれに従わなければなりません。

もしある聖職者たちがこの(神の啓示と教会法)ルールに従わない場合でも、かれらの悪しき行いはルールを変更しえないし、たとえ教皇がそう命令したとしても、教皇でさえも、このルールに縛られるのです。


バチカンの文書による第2の原則は、神の啓示(※神を敬え)に基づいており、変更不可能な神の掟であるがゆえに、全ての人、また教皇御自身でさえ変更を加えることができません。


あらゆる不敬の危険を回避すること


第2の原則は「御聖体に対する全ての不敬の危険性を除くこと」です。御聖体は、真の神かつ真の人であられるイエズス・キリストの体であられるから、神を礼拝せよとする第1戒に、私たちは縛られています。この反対の行いは、神への冒涜の罪となります。もし、手へ御聖体を授けることによって神への冒涜が行われる危険性(が生じる)のおそれがあるなら、手に御聖体を授けるべきではありません。

聖パウロが説明しているように、秘跡の執行者(the minister of the Sacraments)が、各々管理責任を負っています。彼が責任を負っているのは、第1に、教皇に対してではなく、司教に対してでもなく、秘跡を受ける者に対してでもありません。真の神に対して責任を負うのであり、彼(秘跡の執行者)は神の代理者なのです。

そして、その執行者(聖職者)がまず神の代理者として信頼されるようにあるべきです。

御聖体を授ける司祭である聖職者こそが、状況(不敬になる危険性)を精査するべきなのです。その場にいない教皇もしくは司教ではなく、責任者である執行者が判断するのです。

3番目の基準(Norm)を読むときに、これが補助的な原則でありはっきりと認識されます。その基準は、その場での秘跡を管理する神父を除いて、誰が受領者の態度を判断するかという3番目の基準です。まさに、この基準の特性によって、司教でも教皇でもなく、公文書保管庁の職員または近くにいる他の司祭でもなく、ただその場にいる信徒への秘跡を執行する神父だけが、(秘跡を)受ける者の外部的態度を判断する責任があるのです。


そこであなたはこう尋ねるでしょう、手での御聖体拝領によって、御聖体(Holy Eucharist)に対する不適切な事が引き起こされるかもしれないとは、いったいどういうことでしょうか?と。

まさに幾分共通することがあります。特にはっきり言えば、このことです。手で御聖体を受けることで、口に含んだ後に、手の中に残った御聖体の「小片」(fragment)が取れたり、はがれたりして、手の中に残ってしまうことです。その一方、舌での御聖体拝領の場合、かけらが(外へ)取れる心配はほとんどありませんし、危険性もありません。かけらが手から落ちて床に落ちてしまっては、足で踏みつけられることになりかねません。

私たちは、定義づけられたカトリックの信仰のドグマを知っている通り、聖体のどんな小片でさえ、
-真に現存する-イエズスキリストの御体であるのです。だから、聖別された小片を地に落とすことは、主イエズスキリストを床に落としたことと同じなのです。たとえ、それが不注意でなされたとしても、それは汚聖の罪(sin of sacrilege)になります。

この不敬に関する危険は、神の法(Divine Law)に基づき避けるべきです。教皇でさえもこの神の法は変えられません。不敬の危険性を避けるべきという必然的なことがこの法に含まれており、バチカンの文書(※教会法)は、私たちに神の法を思い出させているだけなのです。

もう一度繰り返しますが、秘跡の執行者が個々に責任をもっていて、教皇や司教、枢機卿、司祭、
助祭、または特別奉仕職にある信徒の執行者が、御聖体に対する不敬に関する危険性を避けるようにしなければなりません。

司教がそうするように命令するとか、皆がそうしているとかの言い訳はできません。神の前で、
彼は御聖体のひとつひとつを適切に与える行為の責任をおうのです。

もし、御聖体を手で受けた拝領者が御聖体をいただいた後、かけらが手に残っているかどうかの
確認をしていないということを、執行者がわかれば、大勢の人の中のうちある人は、(聖体の)欠片が手に残り、いづれ落としてしまうだろうと間違いなく思うでしょう。このケースの場合、彼の責任の所在がはっきりしています。たとえ、教皇や司教がその人に手で授けるように命令したとしても、執行者は手へ授けることはできないのです。


ヨハネパウロ2世がそうしてこなかったということを意味しているのではありません。その逆で、私たちはヨハネパウロ2世聖下に対し、深く感謝しています。というのは、イタリアにおいて、教皇は手での御聖体拝領に抵抗したからです。あるイタリアの主要な修道院長(major religious Superior)が指摘しているように、ヨハネパウロ2世がいなければ、イタリアにおいて、手での御聖体拝領がほぼ導入されていたことでしょう。


御聖体の秘跡執行者は、汚聖を避ける義務を負う


実際、手で拝領が行われている北アメリカやその他世界のありとあらゆる場所において、(御聖体を)いただく際に、(御聖体の)欠片があるかどうかの確認のために手の中を調べることに関して、100%の人がそうするわけではありません。それゆえ、御聖体を扱う聖職者は、多くの信徒が集まる教会(public church)で、手に御聖体を配らないことによって、汚聖と不敬の危険を避ける義務を負います。というのは、ある者は、というよりはほとんとですが(数名でも十分な根拠になり得ますが)、聖体拝領後に手を確認しません。それほど多くなくても、少なくとも数名は足元に(御聖体の)欠片を落としてしまう人がいるでしょう。その結果、汚聖と不敬の罪が犯されることになりえます、パウロ6世が、回勅「ミステリウム・フィデイMysterium Fidei(1965年9月3日)」で指摘したように、たとえ、不注意によって起こったとしてもです。

聖職者が(御聖体が落ちる可能性が)ありうると判断すれば、手に御聖体を配るという特別の許可(indult)を与えた公文書の中に記述されている、その許可(indult)そのものの諸条件(terms)によって、聖職者は(手に御聖体を配ることが)許されないのことになるです。たとえ、修道院長が命令したとしても、このような状況下で御聖体を手に配ることがないよう、神の掟(Divine Law)に縛られます。

これら2つの原則を説明した通り、普通の読者は、手での御聖体拝領がいまだに教会の現行の法によって禁止されているということを理解すべきです。たとえ、特別な許可(indult)が、厳密(technically)に解釈されて許されていた場合でもです。つまり、神の掟(Divine Law)と教会法(Church Law)の両方にある許可の条件は、とても厳格ですので、ほとんどの場合、御聖体を手で受ける行為は決して許されることはないのです。

終わりに、私たちが思い出すべきことは、御聖体拝領をする人々は、また不敬が犯されないように注意するべき責任があるということです。しかし、聖職者は必要な警戒から、責任を免れることはありません。

―――――――――――――――――――――
以下の手紙によって、手での御聖体拝領が禁じられている教会の教えと法を解説し
明るみにし、耐え忍んでいる神父、良心のとがめによりこの実行(手に御聖体を配ること)
に従わない神父への迫害を明るみにするでしょう。
―――――――――――――――――――――
1980年1月
イエズス・マリア・ヨゼフ(J.M.J.)

親愛なる教皇ヨハネパウロ2世へ

はじめに
多くのカトリックの神父が、今日教会で蔓延っているある状況に苦しんでいます。というのも、彼らの良心によって手へ御聖体を授けることができないので、神父たちは教区を追われて、(※日本で言う成相神父様のことでしょうか)職務を妨害されています。全ての人が敗者で、司祭が大いに不足しているときは特にそうで、その結果、信徒はお世話をするために、より少数の神父と一緒に去っていくのです。このような状況を改善してくれますようお祈りをしております。私たちは再び天主と聖母の光栄のために、そして、霊魂の救霊のために、使徒職を継続でき、邪魔されないようすることを願い希望しています。

教皇様、私たちを助けてくださいますように!


ある神学的見地における熟考


御聖体の通常の執行者は司祭であるというのは、真実ではないのでしょうか?(C.J.C. 845, 1; Council of Trent 13 c.8, 22 c.1)聖トマスは言っています。

「結果的にキリストの体の聖別は司祭に属するので、同様にその分配(dispensing)も彼に属します」(S.T.III, q. 82 a. 3

執行者が、個々において挙行する秘跡の適切な扱い関して、神に対して責任を持っているのは真実ではないのでしょうか?しかし、ある司祭はこう自問しています。「一司祭が神に対して責任をどのように負うのか?もし、神と教会が私たち司祭に、天主の掟と教会の普遍の法に従い、御聖体を配るために権限を持つ者を送ってきたなら。」と。

ラテン典礼の普遍の法が、今日も、聖別された御聖体を拝領者の舌にのせるべきだとしているのではないでしょうか?メモリアーレ・ドミニ(Memoriale Domini)の回勅にはこうあります。

「…教父は御聖体を信徒に与える現行の法を変更しないことを決断しました。」


「それゆえ、司教、司祭、そして信徒に、今日も有効で、再確認されたこの法に従うように、使徒座は強く奨励します。」と。


ニコラス・グルーナー神父とサンタレンの御血を流す奇跡の御聖体

ある婦人は御聖体を汚す目的で、ハンカチの中に御聖体を隠して持っていた。御聖体は奇跡的にも、とめどなく血を流しつづけるので、婦人はそれを地元の教区の司祭に返しました。
13世紀の出来事で、現在は、ポルトガルのサンタレンに、その御聖体は保管されています。








御聖体拝領の執行者としての司祭の権利と責任

それゆえ、多くのローマカトリックの神父にとって、神の掟や教会法によって手へ御聖体を配ることは義務付けられていないようです。彼らの教区において、その司教が合法的に、手での御聖体の
許可を与えたとしてもです。聖座が与えた特別な許可(indult)が、舌で(直接受ける)御聖体を配るという法から司祭を免じることはあっても、手に御聖体を配ることを(司祭に)命令することはないのです。

さらに、手に御聖体を授けるという特別な許可indultは、ある状況下においてのみ許されるようです。
そのうちの一つは、

「Si deve fare attenzione a non lasciare cadere ne disperdere frammenti de Pane Eucharistico. Come pure si deve curare la conveniente mondezza delle mani ..." (A.A.S. 1969, p. 547. Notiziae 1973, circa p. 295.」
「御聖体であるホスチアの欠片が落ちたり散乱しないように注意しなさい。また、(御聖体を受けるに)ふさわしい清潔な手であるか注意を払いなさい。」

それゆえ、聖座が特別許可のために実際に規定したその条件(conditions)が、御聖体を授けようとする時点で存在するかどうかを、御聖体を授ける司祭が判断しなくてはならないことになるようです。

そして、さらに、ラテン典礼に関する教会法に従うなら、司祭は手で御聖体を授けてはいけないことになるようです。もし、特別な許可(indult)を行使する必要な条件が実際存在していないならです。

さらに、手に授けることが神の掟と良心に反すると思うのなら、司祭は、手へ授けてはいけない
と言う義務を負うことになるようです。(拝領後に、無知や不注意である信徒が聖別された御聖体
の欠片を床に落としてしまうことを、疑いなく確信するとき、起こりうるだろうという事について。)

それゆえにまた、ある場合に、またはどんな場合でも、司祭が手へ御聖体を授けないことを選択
するなら、この理由で、いかなる者によっても、また複数のカトリック司教によっても、その使徒職
を罰したり邪魔したりするべきではないということのようです。

だから、敬意を表して、あなたに懇願します、教皇様。多くのローマカトリック司祭は、個人的かつ司牧上の重大な理由により、手での御聖体拝領を選択しませんでした。その結果、彼らは事実、重大な損失を被りました。苦しむ人々の名によって、あなたに懇願します、教皇様。

もし可能なら、教皇様、どうぞ私たち司祭に、公的な権威ある宣言をお与えください。手へ御聖体を授けないという理由で、司祭はだれも苦しめられず、罰せられることなく、邪魔されないということを宣言し、その宣言をすべての司祭と司教が簡単にアクセスできるようにしてください。 

イエズス・マリア・ヨゼフのうちに
神父ニコラス・グルーナー


――――――――――――――――――――――――

(※グルーナー神父からカナダのある司教への手紙)

1982年6月3日

司教様へ…

本日は、お電話ありがとうございました。引き続き、司牧的かつ父親らしい御配慮ありがとうございます。1981年6月、9月、10月、1982年2月と5月にお会いできた貴重な時間も感謝いたします。

あなたの管区の一教区で働くことを本当に楽しみにしています。教区でお手伝いをさせて
いただき、また同時に大きな経験も得られるだろうと思います。

あなたが、私とお会いすることができるそのようなお立場でいること、実際、あなたの管区で同時
に大いにお手伝いするだろうことは、あなたの教区で司祭がそれほど不足していて、またカナダ全体がほとんどそのような状況の中、養父の指導のもとで、教区司祭として教区を喜んでお助けしたいと望む本当の理由です。教区のための一助となる一方、ファティマの聖母の使徒職を継続するチャンスについても感謝申し上げました。


司教様が知るように、去年の10月、分別をわきまえない手への御聖体の授与における私の良心の咎めについて、手短にお話しました。

再び、今年5月、私が理解している手での御聖体拝領に関する現行の教会法について、そして、御聖体(秘跡)の執行者としての義務についてあなたにもう少し詳しく述べました。申し上げていた通り、あらゆるところで手での御聖体拝領を許可をすることがなぜ私の良心に反するのかについて、簡潔に要約しましょう。

そのため、あなたに1980年1月に教皇ヨハネパウロ2世に送った3枚の手紙(※上記の手紙)のコピーを同封します。また、ファティマクルセイダー7号(1981年春発行)の1ページ分も同封します。その機関誌に、典礼聖省(the Sacred Congregation for Divine Worship)の枢機卿長官と大司教秘書官がサインした公式文書(letter)の、非公式の翻訳文を掲載しました。

原文の文書は1969年Acta Apostolicae Sedis(※聖座or使徒座公報)のページ546-547にあり、その文書は、今日でも、今なお有効です。1980年バチカンに訪問した際、権威ある省の当局者からそう伝えられました。

私の理解がそうであるように、1980年に更新されたものとしてこの文書が、カナダにおいて手での御聖体拝領の特別な許可(indult)に対して影響力を持ちます。添付された追記説明の中に見られるように、1981年の春に入手可能となった最新の裁定(rulings)が、この翻訳文で更新されました。

これらの文書で紹介しましたが、先週個人的にお話したことを繰り返します。カナダを超えて大西洋から太平洋へと飛びましたが、手での御聖体拝領時、御聖体の小片に対して十分な注意が向けられていません。

小片が落ちないように注意することは、(御聖体を手で拝領する特別許可の)必要条件のはずです。
条件が整わない場合、(上述した内容とここに同封したコピーで述べている通り)与えられた特別な許可と影響力を持つ文書によって、御聖体の執行者は手への御聖体の授与は許されないのです。

 そして、事実特別な許可の中で述べられている必須条件は、パウロ6世の教導権に反映されており、
ミステリウム・フィデイ(1965)Mysterium Fidei」の回勅の中で教皇は原文を引用し承認して、こう言っています。床に御聖体の小片を落とすものは誰であれ、不注意によって、罪を犯すことになる、と。

また、教皇ヨハネパウロ2世への手紙の中で示したように、聖別された小片が地面に落ちるということを分別を持って予見でき、かつ防ぐことができるのなら、御聖体の秘跡の執行者は(そうしない)不注意によって罪を犯すことになります。

それゆえ、実際、この決定(※手での御聖体拝領を許可しないこと)こそが、与えられた特別な許可と倫理神学の両方において、私の道義的責任であると感じます。もし、不注意によってホスチアの小片が床へ落下するという汚聖が、手の拝領によってカナダの教区の教会で起こりうるだろうということを考慮するなら。

この結論は、御聖体を手で受けた後、誰一人として一般信徒は手を確認せずに、御聖体をいただいているという私自身と他の神父の経験に基づいているのです。

手の御聖体拝領の実践は、結果的に、御聖体の小片を床に落とすことになるだろうと間違いなく確信していますし、それゆえ私は、-(個人として司祭として召されているので秘跡の執行者の主要な責任を持つ者として)-良心に従い、厳格に規定された特別な許可(indult)に従い、手へ御聖体を授けることはしないと決意するのです。-汚聖が行われないと確信しうるまでは(そう)です。

手紙が長くならないようにしますが、信徒は手で受ける権利はあるが、司祭が手への御聖体の授与を拒む権利があることは知らないというあなたの意見について、ヨハネパウロ2世への手紙を引用させてください、そこに私は御聖体(秘跡)の執行者としての神父の権利について言及しています。あなたのご質問はそこで十分に扱われていると私は信じています。

紙面上の問題により手短に指摘申し上げると、特別な許可(indult)である3番目の基準について、その基準は、御聖体への信仰心を、手での拝領によって高めることができるふさわしい(qualify)信徒に対して、手に御聖体を与える行為を限定しているのです。


さらにまた、基準3番目である特別な許可(indult)によれば、拝領者の外的行為を判断するのは、その場にいる司祭の責任であるのであって、個々人の信徒が、手で拝領することにより、信仰が高まったかそうでないかとかは(基準と)関係ありません。この新しい実践によって、真の現存(Real Presence)に対する信仰が高まったということを、私は知りませんが。

私は個人的に、教区で手で拝領をさせない別の理由があるように思います。言及したように、サタンの教会が運営されて(open the door)いる○○都市の○○教区では(そうでしょう)。悪魔的な黒ミサに用いる聖別されたホスチアを活動的に探し求めていることは、あなたがお気づきでしょう。わたしは教区民をよく知ることができるまで、手に御聖体を授けるのに信頼できる人が誰なのか知ることができるしょうか?

こんなすぐに、こういった手紙を書かなければならなくなるとは思いませんでした。この事態を別の法的権限を有する代理者にゆだねて、単純に御聖体を授けないことによって問題を避けることを私が望んでいたのはあなたの知るところでしょう。わたしはカナダで、この事態が問題化しないように5年も努力してきたのです。

自分として、本当に個人的な不都合をできる限り避けようと、私は手へ御聖体は授けないということを周知させています。私の兄弟である神父を叱るようなまねをしたくないし、他の人よりも霊的にすぐれているとか、自分自身が目上としてふるまっているかのように思われたくなかったのですから。そのような見せ掛けは、ただ私の使徒職により大きなダメージを与えるだけでしょう。


最もあてはまると思われるのは、多くの神父はindultの正確な条件を知らず、北アメリカのほとんどの神父は、その条件をいまだ見たことがないということです。
(1981年にこれを公表する以前に、北アメリカでは、まだ公表されていなかった。)

そういうわけで、手に授けることで課せられる厳しい義務(※不敬・汚聖を避ける義務)を私が知るように彼らが知るということを、私は期待していません。そのことを彼らに伝えることは義務だとは考えませんでした。わたしの立場上、そのような仕事は難しい。わたしは司教でもありませんし、兄弟である神父たちに命令する立場にもありません。

あなたは本日のお電話で、教皇様や教会以上に、よりカトリック的に振る舞うべきではないと仰いました。司教様が知るように、教皇様も御聖体を手に授けませんし、許可を受けている国においてもそうです。テレビで拝見したように、教皇は手を出したアメリカの司教たちにも手に授けることを拒否しました。フランスにおいては、フランス大統領夫妻にも、手での御聖体拝領を許しませんでした。

ヨハネパウロ2世へのわたしの手紙と、特別の許し(indult)の細かい条件もそうですが、この手紙を注意深く考慮してみれば、わたしが教会以上にカトリック的ではないということは明らかです。実際は、教皇と現行の教会法が(そうすることを)私に要求していることなのです。

けれども、これがはっきりしないのなら、それは、私が答えていないいくつかの点があるにちがいないからでしょう。ある点についてはもっとはっきりすべきだったでしょうが、簡略化し、手紙がさらに長くならないようにしたためです。私の論拠に対するあなたのどんな異議についても、ご返答する機会をください。

この手紙を読んで、この点について、私はカトリック教会よりもカトリック的ではないということを
御認めくださるよう望みます。

お電話で、あなたは仰いました。学びすぎても自分のためにはならない、と。それについては同意します。私は、良心を学び形成したので-(そして多くの人は、カトリックの教えを知るべきであったし、そのきっかけを持てなかったわけですが)-事実上私は任期を終えずに締め出されてしまいました。

神に仕えることと活動を通して霊魂を助けるということのために司祭に叙階され、司祭職を始めましたが、あなた部下の人事部役員のような聖職者の圧力によって、母国であるカナダで、カトリック信徒への奉仕職から追放されている状況です。

しかし、もし、この問題について、実際、私自身の良心が教会の精神に従って形成されていないと言う意味で、あなたが「学びすぎ」たということをおっしゃっているのなら、私自身の良心に反して、教会の教えに基づいてた開かれた誠実な論拠を、学ぶつもりです。もし、私が間違っているのなら、喜んで多数派に従うべきでしょう。私の生き方を計り知れないほど容易にしてくれるでしょうから。しかし、この点について、私の良心を混乱させようとする者またはそうできる者に、まだ会ったことがないように思います。

それゆえ、ここカナダで使徒職を行うという私の夢がただの夢に過ぎず、私は学びすぎているので、「政治犯」のように、1982年のペンテコステの手紙でカナダのカトリック司教団が言及した「国外追放者exile of conscience」になるのだろうと思います。

管区に来る私の唯一の障害は、手へ御聖体を授けないことだということを正直と寛大さを持って私に仰ってくれることに感謝します。


私の良心がこの問題を受け入れ、カナダでの仕事の機会を得る良い方法が見つかることを望んでます。-(先週あなたのオフィスでお会いした時、あなたは私が司祭職を果たすことをお許しになることを
望んでいるようでした。けれども、手への御聖体拝領に対する私の立場が知られれば管理上の問題があるということをまさに予見しました。)

どうやら、どなたかが、そのことについて人事部会に報告したようです。私ではありません。1982年5月31日月曜、私は、あなたの管区に加わる申請を検討するためにお会いした人事委員会のメンバーとお会いしました。月曜の朝10時10分ごろに、モンシニョールA神父とモンシニョールB神父にだけお会いしました。2人の神父が私とモンシニョールAのオフィスでお会いするために、数分ホールで待っていました。(※モンシニョールは高位聖職者への尊称)

委員会の3番目の委員は出席しませんでしたし、名前はわかりません。B神父は、数分後にミーティングを去りました。A神父とは20~25分間英語とフランス語でお話しました。委員の誰一人として、手での御聖体拝領に関して質問してきませんでした。(そのことを)持ち出しもしませんでした。私がそのことについて良心に従うということが、彼らにとって問題であったとは知りませんでした。彼らが質問すれば、私は彼らに説明できたでしょう。

司教様がこの手紙をご検討し、お電話で仰ったように、特に今すぐ司祭が必要であるのですから、
あなたの管区で私をお手伝いさせてくださるようお願いします。

この行き詰まりを回避するなんらかの方法があると強く望んでます。あなたの管区で奉仕し、良心に
反するようなことは求められないということを望みます。

可能な解決法は試験的にではありますが…あなたに奉仕させていただき、手での御聖体拝領に関して、私の良心によって教区が分断してしまうようなら-たとえこのことについて私がするであろう唯一の方法が御聖体を与えないということであろうとも-いつでも私を解任することができます。

おそらく、あなたのおそれは根拠がないものだと言えます。というのも、わたしは、手へ御聖体を与えないM神父のことについて言えますが、その教区司祭は○○管区の○○教区で、手に御聖体を与えません。また、信徒もそのことについて知っています。舌でのみ御聖体を授け、通常の日も日曜日のミサにもそうしますが、信徒は誰も気にしていません。(例外としてまれなケースでは、その後にある見知らぬ者がM神父に個人的に反対をするくらいです。)

M神父が来れば、彼の良心の咎めにより、手に御聖体を与えないだろうと、教区長であるS神父が説教壇から信徒に報告をしました。教区の人々は、神父の良心を尊重し、このことについて、彼を煩わせることは望みませんでした。

今も、数年間このことが続いていますし、教区は分断されていません。この教区に数年間何度も訪れましたが、神父たちはとてもうまくやっていて、信徒たちも分裂していませんし、M神父も教区長のS神父もあなたにそう報告すると確信しています。

この手紙を受け取りご検討くださることに感謝いたします。聖母の汚れなき御心がいつか来たる日において私たちの避難所でありますように、


イエズスとマリアのうちに
ニコラス・グルーナー神父


注意:

今回、手での拝領に関する規則と文書を公開した理由は、多くの司祭が私たちに連絡を取り、手に御聖体を授けないために迫害されていると述べているからです。

追記

1.教皇がはっきり述べているように、教皇自身が手での御聖体拝領の実践に反対(against)しています。しかし、最近進歩的な司教たちのプレッシャーによって、許可するようにという(司教たちの)主張に対して、教皇は時々応じました。

教皇の見解として、適切な状況が存在しない場合、多くの場合は手での御聖体拝領を拒む権利を
行使してきました。










パードレピオ神父
御聖体を口で受けるピオ神父


2014年3月9日日曜日

医療専門家がフルトン・シン大司教による奇跡を承認、福者の位へ前進

Fulton J. Sheen大司教が福者の位へ前進


大変喜ばしいニュースです。フルトン・J・シーン大司教が福者になるための必要な奇跡が
認定されるかもしれません。

以下は、ニュースの要約です。翻訳ではありません。

バチカンによって招集され7人で構成された医療専門家チームのによれば、
死産で生まれ、生まれてから61分が経過するまで心臓の鼓動が止まっていた
子James Fulton Engstromに関して、普通では説明がつかないと報告しました。

James Fulton Engstromは、現在3歳で通常通り成長し、
赤ん坊の生存は、フルトン・シーン大司教の
取り成しによるものであると、両親は認めています。

フルトン・シーン大司教は、1950年代のアメリカのテレビ番組で人気を博し、16年ものあいだ、信仰を普及させるための協会(the Society for the Propagation of the Faith)を指揮しました。

Daniel Jenkyダニエル司教(大司教Fulton Sheen 基金を指揮)の管轄であるイリノイ州ピオリアPeoriaで、医療専門家の報告書が発表されました。ダニエル司教は、

「本日は愛すべきフルトーン・シンの列福と列聖のきっかけとなる重要な一歩です。」と声明を発し、
「より多く前進するのに多くのお祈りが必要です。しかし、今日は喜ぶのに十分な事情があります。」

と報告を始めます。

ジェームズ君のお母さんBonnie Engstromは、事の次第を語りました。

死産の原因は、へその緒がもつれてしまったことにあり、血流と酸素の供給が
滞ってしまいました。産道を進もうとすればするほど、より強く締め付けられたのです。
「彼は死産でした。」母親は、手を伸ばして抱きかかえて、
子供の腕がだらんと垂れているのを思い出していました。

救急車が到着するまで、20分もCPR(心肺機能蘇生)と胸部圧迫を行い続けました。
母親は、「わたしは、頭の中で、ただ彼の名前を何度も何度も繰り返しました。フルトン・シン、フルトン・シン・フルトン・シン」と大司教フルトン・シンの助けを求めてお祈りをしていました。
「どうすればよいわからなかった。」と、その時の状況を振り返っています。

病院で、PEA(興奮収縮解離)と診断され、医者は2度エピネフリン(epinephrine)の投与を行いましたが、うまくいきません。慰めるために、看護師は赤ん坊の足をいくらか摩(さす)りましたが、その時、冷たくて死んでいると言っているかのように、「足が本当に冷たいわ、本当に冷たいわ。」と看護師が言っているのを、母親は聞いています。

緊急治療室のドクターが、「もう5分治療を試みますが、それでだめなら治療を終えます。(then call it)」と言ったのを母親は覚えており、「もし、ドクターが病院に到着する前に、すでに40分の治療を
施していることを知っていたのなら、きっと治療は終えていたでしょう。」と母親は言いました。

彼女は付け加えて言いました。

「治療を終えようとしたまさにその時、赤ん坊の鼓動が始まり、1分に148の脈を打っていました。
まさにそれは、新生児にとって正常な値でした。再び脈が弱まると言うことは決してありませんでした。」

この事実は神学会(a board of theologians)で、再調査されます。承認されると、
教皇に助言を行う枢機卿と司教によって審査されます。最終的に、大司教
フルトン・シンの仲介によって、天主が奇跡を実行したものであると、
教皇フランシスコが公的に宣言すれば、ローマ・カトリック教会がフルトン・シーン大司教を
福者として認めることになります。

仮に、この奇跡が認定されれば、大司教フルトン・シンは尊者から福者の位に上げられます。

「聖人」になるためには、もう一つの奇跡が認められる必要があります。
詳細は、関連記事をご覧ください。


関連記事


(フルトン J. シーン大司教1895年5月8日―1979年12月9日)
2012年、バチカンは、その英雄的な徳によりフルトン・シーン大司教を尊者(Venerable Servant of God)の位に上げました。


著書
キリストの神秘体 (1949年)
生きてゆくということ (1956年) (ユニヴァーサル文庫)
キリストの生涯 (1956年) (ユニヴァーサル文庫)
見よこの女性を (1956年) (ユニヴァーサル文庫)
幸福はあなたのもの (1956年)
十字架に対する七つの言葉 (1956年)


2013年9月4日水曜日

フランシスコ教皇の呼びかけ 祈りと断食

9月3日聖ピオ10世教皇 祝日 



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9月3日は聖伝のカレンダーによれば、聖ピオ10世教皇の祝日となっています。現在は聖グレゴリオ1世教皇教会博士の祝日となっています。



Pius PP. X、1835年6月2日生まれ - 1914年8月20日逝去
ローマ教皇(在位:1903年8月4日 - 1914年8月20日)





聖ピオ10世教皇が亡くなる前、大戦争を予感していましたが、案の定、第1次世界大戦が勃発しました。サラエボでセルビアの青年による皇太子暗殺事件が6月に起き、次々と同盟国が宣戦布告をし第1次世界大戦へと向かっていきます。教皇はその後、8月15日になると病いに倒れ、19日に気絶をし20日未明に亡くなられました。心労が重なったことによる悲しみの逝去でした。



さて、教皇フランシスコがシリアにおける戦争がより拡大することを恐れ、9月7日に信徒にお祈りと断食を呼びかけています。皆様のお祈りと断食の犠牲をお願いいたします。
http://ja.radiovaticana.va/articolo.asp?c=724939



今、中東が火種となってふたたび世界大戦に突き進むのではないかという危機感が世界的に醸成されています。専門家によれば、シリアへのアメリカやイギリスの攻撃が地域戦争へとつながり、ロシアや中国との直面で第3次世界大戦へとつながる可能性があるそうで、危険な宣戦布告をしています。(関連記事



ドイツなどの欧州は反対の姿勢を示しているそうですが、日本の安倍首相はアサド政権を批判する米国追随の発言をし、戦争を支持するかのようなコメントをしています。



いったん戦争が起き、取り返しがつかない状況になれば、シリア内の紛争が地域戦争へと拡大していき、最終的にアメリカと敵対する国々から日本も攻撃の対象となっていくでしょう。ロシアや中国・北朝鮮などから無慈悲な攻撃にさらされることになるでしょう。



また、個人的に気になることに関して、19世紀メーソンの教皇と言われたアルバート・パイクの予告によれば、「第3次世界大戦はシオニストとアラブ人との間に、イルミナティ・エージェントが引き起こす、意見の相違によっておこるべきである」なのだそうです。フランス革命やアメリカの建設などフリーメイソンがかかわっていることが知られていますが、このような戦争も彼らによって引き起こされるのでしょう。



どうぞ、皆様の一人一人のお祈りと犠牲をお願いします。お祈りと犠牲がなければ天主の御怒りは沈められません。ファティマの聖母はロザリオの祈りを毎日唱えるように促し、秋田の聖母は私たちに多くの犠牲を要求しています。人類は取り返しのつかない状況に進んでいるからこそ、私たち一人ひとりの犠牲とお祈りがどれだけ貴重なものでしょう。少数のために天主は願いを聞き入れてくださることを、私たちはあのアブラハムの懇願から学んでいるはずです。ソドムとゴモラの町を罰しないように50人の正しい人がいるかもしれないので滅ぼさないでほしいという願いは、最終的に10人の正しい人という条件で折り合いがつきました。



カトリック信徒は、特別に天主から愛され、それぞれの使命を果たすように招かれています。今このときこそ、私たちはシリアで迫害に合う信徒のために、そして戦争によって難民となって苦しんでいる多くの人々のために、より多くの祈りと犠牲が求められているような気がします。



教皇様と一致して、祈りと断食の犠牲を通して、償いをいたしましょう。



2013年7月30日火曜日

聖ジョン・ニューマン-アメリカ司教の最初の聖人

St. John Nepomucene Neumann



Dsc_0115_2聖ジョン・ネポムク・ニューマン
1811-1860  1月5日祭日(アメリカ)
アメリカ司教最初の聖人





チェコのボヘミア生まれ。1835年に司祭に叙階される予定でしたが、司教の病気と多くの司祭の存在により、これ以上の叙階を行わないことが決定されました。ボヘミアには多くの司祭がいました。



ジョンはヨーロッパ中の司教に手紙を書き送りましたが、どこも同じようにこれ以上の司祭はいらないと理由で断られてしまいました。司祭の召出しに応えようとしていたニューマンにとっては苦難の道のりでしたが、あきらめずに、英語を話す人と一緒に働きながら英語を学んで、アメリカの司教宛に手紙を書いたのでした。



ついに、ニューヨークの司教が彼を叙階することを承諾してくれました。司祭としての神の呼びかけに応えるためには、彼は故郷を捨て、海を越えて新しい困難な地へと旅立たねばならなかったのでしょう。



ニューヨークでは、20万人を司牧する36人の司祭のうちの一人はジョン神父でした。彼は西部ニューヨークの教区を受け持っていましたが、次第にオンタリオ湖からペンシルベニアまでそれは拡大していきます。彼の教会には尖塔も廊下もありませんでしたが、村々へ常に旅する彼にとっては大切なことではありませんでした。山を登って病人を訪問したり、屋根裏部屋や宿屋に泊りながらキッチンのテーブルでミサを捧げていました。



職務と管轄教区の孤立のため、ジョン神父は共同体を切望し、貧しい者、見捨てられた者を助けるために捧げられた司祭、修道士の修道会であるレデンプトール修道会(the Redemptorists)に加わりました。



1852年にフィラデルフィアの司教に叙階されます。ジョン・ニューマン司教は教区のカトリック学校を組織化した最初の人です。アメリカのカトリック教育の創設者として、2つしかなかった学校を100にまで拡大し、多くのカトリック学校を創設しました。



司教は人々に対して愛と関心を決して失うことはありませんでした。また、フィラデルフィアの中枢(司教)を悩ますものに対しても関心を失うことはありませんでした。地方の教区に訪問した時のこと、教区の司祭は肥料(排泄物)用のワゴンで司教を迎えに行きました。ワゴンに詰まれた内容物が広がった厚板に座りながら、司教は言いました。
「今までで、あなたは司教にお供する随行人に会ったことがありますか?」



彼の言語を学ぶ能力が彼をアメリカへと導きましたが、またスペイン語、フランス語、イタリア語、ドイツ語をも覚え、6か国語を駆使し、6か国語で告解を行うことができました。アイルランド人の移民も増えたので、司教はゲール語(Gaelic)も修得しました。アイルランドのある婦人は「私たちはアイルランドの司教をいただけてなんとすばらしいことではないでしょうか?」と言ったほどです。



かつてドイツに訪問した時のことです。司教は雨でびしょ濡れになって訪問先の家に戻ってきました。家主は彼に靴を交換するように言いました。司教は言いました。
「靴を交換する唯一の方法は、右足の靴を左足に、左足の靴を右足に履くだけですよ。一足しかありませんからね。」



ジョン・ニューマンは1860年1月5日、脳卒中により48歳の若さで亡くなりました。



お祈り



ああ、聖ジョン・ニューマンよ、すべての霊魂をキリストへ導こうとするあなたの熱烈な渇望により、あなたは故郷と国から引き離されました。天の御父の子供かつ神の家族の最初に生まれたイエズス・キリストの兄弟姉妹とする、洗礼の精神により、私たちに立派に生きることを教えてください。



あなたの生活の大きな特徴であった、貧困、病人、苦境にある人、見捨てられた者に仕えるあの完全な奉仕を、私たちのために獲得してください。困難かつ、時に苦痛である務めの道を忍耐強く歩めるように、救世主の御体と御血により強められ、わが御母の注意深い御保護のうちに、お助けください。



死(の間際)の時も、心のうちに鮮明な信仰の光に照らされ、天の御父の住いに至る確実な道にいますように。





参考ページ
聖ジョン(ヨハネ)・ニューマン
St. John Nepomucene Neumann



追記
写真は腐敗を免れた聖ジョン・ニューマン司教です。かつて、腐敗を免れることは偉大な聖人の証であると考えていました。もちろん、腐敗を免れることが聖人であることの条件ではありません。ただ、この奇跡は天の介入によるものであると強く信じています。
また、腐敗を免れることはカトリックの復活の信仰を補強するものなので、常に感動を呼び起こします。腐敗の写真を見た時は、いつも天を仰ぎみる気持ちになり、生き方の自省を促してくれます。ジョン司教の召出しに誠意に応えようとする生きざまを考えながら、その徹底した自己犠牲に強く心打たれました。





2013年6月22日土曜日

なぜベネディクト16世は辞任したか-ポール・クレィマー神父

ポール・クレーマー神父の見解-ベネディクト16世の辞任と教会内の派閥


ファティマクルセーダーのサイト、2013年4月発行機関誌105号の36ページ「なぜベネディクト16世は辞任したか」の翻訳です。

Paul Kramer神父

ポール・クレィマー(クレーマー)神父は、カトリックの信仰やファティマに関する講演を行い、数多くの記事や本を書いていますが、特に 「The Devil's Final Battle」と 「The Suicide of Altering the Faith in the Liturgy」は有名です。


今回記事の中で注目すべき点は、教会内の派閥の存在です。教会内に敵が存在するという事実を見失っては、教会内でなぜ混乱と破壊が続いているのかを理解できないでしょう。特に、クレィマー神父は、教皇の辞任の質問に関して、このような派閥闘争がある程度関係していることを語ってくれています。その派閥とは、よく知られるフリーメイソン員についてです。聖職者の口からこの団体について語るのは珍しいことなので、貴重なお話です。霊的読書でコルベ神父がこの秘密結社について語っていた部分があったのをうっすらと記憶が残っているくらいですが、メーソン員がバチカン内に潜んでいることを知ることは、私たちの信仰を守るうえで重要なことです。カトリック信徒は、自力でカトリック信仰を守らなければならない時が来たからです。


教会外にも救いはあるので他宗教も認めるべきだとか、尊い犠牲である聖なるミサを聖なる食卓と表現してミサの意義を忘れさせたり、毎日のロザリオや聖母マリアへの信心、天使ミカエルの祈りを唱えさせないように破壊的に教会を改革してしまったこと、朝と晩の祈りをしないなど動物のような生活を送らせること、ますますカトリック信徒にふさわしくない世界に媚びた生き方を強いられています。


信者の生ぬるい生活態度は間違いなく天主の御怒りをかうことでしょう。そうならないためにも、ひとりひとりがカトリックの復興のためにするべきことをしなければいけないと思います。


敵対勢力はすでにバチカン内に侵略しました。教皇パウロ6世は「教会内に悪魔の煙が入ってきた」と表現して、教会の危機を訴えました。ファティマの聖母はこのことを警告していたのであり、私たちに与えられた償いの時間はそれほど長くないのかもしれません。



以下日本語試訳:


なぜベネディクト16世は辞任したか?


以下は、2013年3月6日(フランシス教皇が選出される1週間前)イタリアローマで放送されたファティマTVでなされたインタビューの英語翻訳です。


クレーマー神父は神学・哲学、神学修士(a Master of Divinity)の学位を持ちます。多くの本を著し、最近の著作に「The Mystery of Iniquity」があります。


読みやすいようにファティマTVインタビュアーのピーター(Peter Dychtiar)の質問は赤色で、クレィマー神父の回答は黒で記します。


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あなたの意見では、最近の教皇ベネディクト16世の辞任の背景は何があるでしょうか?


「はい、衰弱していて、健康が悪化し、もはや教会を治めることはできないと教皇はかなりはっきりと述べました。それが主な理由です。また別の情報筋からの報告では、彼の健康は実際に悪化しており、教皇は、教会のために辞任しなければならないと思ったのです。」


この(辞任の)決断に与えた他の影響があったと思いますか?


「私はそうだと考えています、というのも辞任を考えていたのはすでに4年前だったからです。彼は管理統治(administration and
government)にそれほど多く関わらなければならないことについて、本当は満足していなかったと、私は報告を受けています。それは難しかった。
教会内に派閥が存在し、反対勢力を扱わなければならないことは、彼の年齢では難しいと考えた。それで、彼は2009年4月10日、クレスティヌス5世教皇の墓を訪れ、ローマ教皇の権威の証であるパリウムを脱ぎました。彼は肩からそれを脱ぎ、聖クレスティヌスの墓に置き、そこに残しました。このジェスチャー
の意味は、教皇クレスティヌスが自らの意志で辞任した教皇であり、他から強制されたり圧力をかけられたわけではないということなのです。」


どういった類の派閥がこのような決断と関わっているかもしれないのでしょうか?あきらかに、それは長い間続いていますね。


「そのことについて私はひさびさにバチカンの高位にある者から聞きました。ザノーニ(Zanoni)モンシニョールとエクレジアデイ委員会の前長官マリオマリーニ(Mario Marini)モンシニョールがいました。(補足:モンシニョールとは高位聖職者に付ける敬称)


彼らは、聖職者のフリーメイソンリーについて、教導権や伝統の教えそして教会の掟に忠実な人々に反対する教皇庁内のフリーメイソン員党派ついて話していました。一般的に進歩主義派として知られていた改革者の前で、彼らは苦境にありましたが、いわゆる保守派と呼ばれている中にも、権威のある地位にいる者もいました。」


「良心とキリストの教えに基づいて教会を統治するため、まず第一に教皇は論争し奮闘していたのはその勢力に対してでしょう。このグループは教会内でフリーメイソンの政策(アジェンダ)を促進するのです。それが論争のポイントです」


フリーメイソンが何なのか多くの人は理解していません。それはビジネスクラブで、紳士クラブなのでしょうか?


「表向きはそうです。そのようにふるまうのを好みます。しかし、水面下では何世紀にもおよんでアナウンスしてきたアジェンダが存在します。はっきりしていることは、1700年代から、世界にグローバルな単一政府、単一の世界共和国を、全宗教、キリスト教徒も非キリスト教徒も包含した一つの世界宗教を樹立し、
単一の組織の傘のもとに混ぜ合わせようと彼らは勤しんでいます。」


どのようにしてフリーメイソン員だと認識するのでしょうか?彼らは特別なバッジを身に付けているのでしょうか?フリーメイソン員は全世界中にいるのでしょうか?


「はい、全世界にいます。時にメーソン会員のバッジをつけたり、車に印を施したりしますが、ふだんは知られたくないようにすれば、知る手がかりはありません。彼らは彼らで内々の握手を交わして、フリーメーソン会員であることを知るのです。」


「ちょうど初期キリスト信者が使っていたもので、キリスト教徒であることを表した「砂の中の魚」と言った秘密の象徴で表現しているようなものです。フリーメーソン員であるという秘密の印を持って会員同士で交流するのです。救援信号(distress signal)も持っています。メーソン会員が公判でなんらかの助けを必要とする場合、もっぱら法律の文言にない判定であってもおそらく助けを求めれば、救援信号でたいていは解放
されます。」


教会の頭はキリストご自身です。フリーメイソン組織ではだれが会員を主導するのでしょうか?会員は誰に従うのでしょうか?


「フリーメイソン組織について、ここが重要なところです。彼らは名の知れない長老たち(partriarchs)をいただいています。最高議会は存在するも、メンバーの名前は、彼らには公表
されません。高位から命令が下り、下位の者にわたります。その命令は従わなけれなりません。フリーメーソンの一定階級に到達した後、死のペナルティの影響のもと、従順でなければなりません。なので、訴えることもできません。ただ、命令を実行しなければならない。言われたとおりに。さもなくば死の報いを受ける。また、秘密も守らなければなりません。結社の秘密は内部にとどまり、開示すれば死のペナルティがあります。」


実際に、フリーメイソンの神殿と言われているところですね。彼らはフリーメイソンの神殿に行くのですか?


そうです。フリーメイソンは宗教ですから。彼らはそう呼びたくなくても、宗教です。ウルグアイのグランドロッジの除名資料の中に、私の間違いでなければ、イングランドのマザーロッジからの命令の中で、フリーメイソンリーは宗教であることが述べられています。さて、フリーメイソンリーという宗教はいわゆる古代神秘に関する宗教で、古代の体系的な異教的神秘の宗教が、私たちがフリーメイソンリーと呼ぶ現代組織に織り交ぜられたのです。


シュライナーズ(Shriners)はフリーメイソンで間違いないですか?私たちは、道化役者(clowns)であるフリーメイソン員について話しています。彼らはパレードに繰り出します。私たちはあらゆる階層に彼らを見出します。彼らはフリーメイソンのどの階層なのでしょうか?


彼らは高い階級です。たとえば、彼ら道化役者(clowns)はシュライナー会員になるためにヨーク・ライトの6番目の階級やスコティッシュ・ライトの33階級を達成しなければなりません。必ずしもフリーメイソンリーの最も高い階級というわけではありません。それよりももっと高い階級がありますから。けれども、それらが一般的に公に知られているものです。それらが通常のメーソン員が到達できる高さです。その階級でシュライナーズ会員としての資格を得ます、が、たとえ人前でおどけていても、彼らの宗教は決してこっけいではありません。聖人が私たちに言うように、聖パウロは言っています。異教の神々は悪魔である、と。そして、フリーメーソンの神々も悪魔です。


なぜ、このグループは教会を破壊することを望んでいるのですか?その動機はなんですか?


彼らの動機は悪魔に仕えることであり、彼らも公然とそう言っています。「The Mystery of Iniquity」の自書の中で、彼らがサタンの基準のもとに闊歩するだろうと宣言している部分の引用を見出すでしょう。そう、かれらは喜んで悪魔の事業を行うのです。彼らのすべてではありません。あるグランドマスターが指摘しているように、フリーメーソンリーがいったい何なのかを90%の会員が知らないのです。「The Antichristian Revolution of Freemasonry」というアドラー(Adler)神父の著書の中で、そのグランドマスターの言葉が引用されていました。


会員の残りの10%は、すべてを確実に理解していて、教会を転覆破壊するために教会内で権力のポジションを得ていますし、国家の権力のポストについて転覆を図っています。統治国家を破壊し一つの世界共和国、一つのメーソン宗教をつくり、神への崇拝や奉献から引き離して、サタンを王位につけるのです。


彼らはどのように教会に侵入したのか?彼らはバチカン内にいるに違いありません。


バチカンで働くために雇われてから、彼らは若い高位聖職者や若い神父と関係を構築しました。それ以前にも、教会内の高位を約束された若い人(聖職者) と会って、関係を築き始めます。彼らは有力者(movers and shakers)を紹介して、かれら(若い聖職者)を外交のパーティーや集会に連れて行き、口座残高がたっぷりとなるようにお金を提供してきます。そして、教会ヒエラルキーの中で聖職者が昇進した際に影響力を持ちます。このようなやり方で、彼らは聖職者を昇進させていくことができるのです。


ある時点で、彼らはフリーメイソンリーに加入するように招待されるでしょう。そこでは彼らはトップに立ち、高位のポジションに移動できるのです。もしくはその時点で、拒否し、メーソン会員になることを望まなければ、お金は提供されず、権力者ともつながりが無くなります。そして、彼らは聖職の生活を送る許可を与えた時のころの状態に戻るだけでしょう。そして、彼らのキャリアは神の力なしに昇進できないでしょう。


そのように長期的な意図的な活動があったわけですね、しかし司祭を目指してセミナリー(神学校)に入った若者はどのようにしてメイソンリーの狡猾さに気づかないのでしょうか?


それらは秘密結社でありアジェンダの広告を多くは行っていません。悪魔は隠し立てを好みますし、その追随者も同様です。アルタ・ヴェンディータ(Alta Vendita)と呼ばれるメーソン協会は、1820年台に、その指導者に対して報告したことは、若い聖職者たちの心にフリーメーソンの考えを注入するのに、彼らへのプロパガンダはすばらしく成功した、と。彼らのアジェンダとは「ペテロの鍵という道徳的基準のもとに前進していると思わせておいて、実際は我々のおきてのもとに前進していくだろう、ということです。


1917年マキシミリアン・コルベ神父は、ローマでフリーメーソンリー設立200年祭の祝うパレードを目撃しています、そのパレードで「サタンがバチカンから支配をするだろう、教皇はサタンの奴隷になるだろう」という横断幕を掲げていたのです。このことは教皇がフリーメイソンリーと対峙したときにまでさかのぼります。それ(フリーメイソンリー)は教皇を支配強要を試み、自らのポリシーを教会の公的ポリシーとし、隷属化するのです。


明らかに、侵略は高位にまで及んでいるということですね。1978年の教皇ヨハネパウロ1世の死となんらかの関係はあると思いますか?


かなり高い地位にいる方々(高位聖職者)が、まさにこのことについて論じてきました。以前私が申し上げた通り、モンシニョール・マリオ・マリーニはエドゥアルド・ガニョン枢機卿と近い友達です。ガニョン枢機卿、モンシニョール・マリーニ、そして私は皆共通の友達です。お互いに知る間からですね。そして、ヨハネパウロ1世の死の3日前にかわされた会話を私は聞きました。ガニョン枢機卿(当時はまだ大司教)はモンシニョールマリーニに「彼らは教皇を狙っています!彼らは多くのことを変えようとし、それを素早く行おうとしています」と言いました。3日後、マリーニはガニョン大司教を呼んで言いました。「大司教様、3日前に仰ったことを覚えてますか?」。ガニョン大司教は「よく記憶してますよ、かれらはやったのです。」と。


さて、自分自身で大いに調査し、書物や記事のみならず、私が読んだ公的なソースを確認したバチカン内部の情報通からも調査しました。表れてきた写真は、私の中でとてもはっきりしています。すでにわかっていたことは、ヨハネパウロ1世は、バチカン銀行の総裁(principal)パウル・マルチンクス司教を解任しようとしていたことです。当時、バチカン銀行はロベルト・カルヴィのアンブロジアーノ銀行と密接に関わり結びついていた。マルチンクス司教が解任されれば、サポートを失いバチカンから得られる資金へのアクセスを失うことでしょう。


マルチンクスは頻繁にフリーメーソン界内部に接近していたので、フリーメイソン会員だと疑われていたし、事実フリーメイソン員の証拠がありました。彼はカルヴィと親密で、カルヴィはイタリアのメーソンロッジP2の会員だった。カルヴィはミケーレ・シンドーナ(Michele Sindona)の弟子(protege)で、ミケーレは、ロングアイランドのフランクリン・ナショナル・バンクの破たんに関連して、バチカンにおいて最初の銀行取引のスキャンダルを引き起こしました。両者ともにリチオ・ジェッリ(Licio Gelli)のメーソンロッジP2だったのです。


教皇ヨハネパウロ1世がポールマルチンクス大司教を解任させるということを知らせたので、彼らはパニックに陥りました。ヨハネパウロ1世が亡くなる晩の午後、国務省長官ジーン・ヴィロット(Jean Villot)枢機卿と熱い議論を交わし、国務省長官からヴィロットを解任するだろうと言及しました。数世代にわたりヴィロット家はフリーメイソン会員で、枢機卿自身フリーメイソン員であった多くの証拠あります。ヴィロットは解任され、他のフリーメイソン員の疑いのある者も解任し、決め手としてポール・マルチンクス司教も解任されるだろうと。それで、彼らはパニックになり、すぐに行動に出ざるを得なかった。


そういうわけで、かれは明らかに重要人物だった?


はい、しかしヨハネパウロ1世はロシアの奉献を望んでいたということも知らせました。実際、私はヨハネパウロ1世がファティマの聖母が要求されたとおり、けがれなき聖母の御心にロシアを奉献しようという趣旨(effect)の声明を発表した証拠書類を見ています。ヨハネパウロ1世は突然すぐになくなられました。-心臓を患っていたといううわさが流れましたが、かれ(教皇)はとても健康的でそのようなうわさは真実ではありえません。


それから、ロッジP2は今日も存在するものなのですか?


はい、ロベルト・カルヴィの死と関係があります。はっきりした数字は覚えていませんが、1.4億ドルかそれ以上のお金が消えて、カルヴィは困難な状況に陥りました。アンブロジアーノ銀行(Banco Ambrosiano)からお金が消え、カルヴィは起訴されました。彼は一人だけ失脚を望まなかった。逮捕されるなら、他の者も道連れにしようとした。なので、彼は、P2の名誉主任リチオ・ジェッリを脅しました。-彼(リチオ・ジェッリ)は財政テロリスト取引(financing terrorist operations)の有罪判決を受け、前首相アルド・モーロ(Aldo Moro)の死に関わった容疑にかけられました。その部分で関連性がありました。ヘンリー・キッシンジャーはアルド・モーロを脅したが、彼は首相という立場で政府が人口削減や脱工業化の政策に関わることを拒否しました。キッシンジャーは彼に「このことであなたは痛い目に合うでしょう。(You will pay dearly for this)」と言ったのです。現在、キッシンジャーはリチオ・ジェッリの友人で協力者(associate)です。事実、ジェッリ自身1982年のインタビューで、娘の結婚時、ゲストの一人はヘンリーキッシンジャーだと言いました。

イタリア赤軍(Red Brigades)が、実際アルド・モッロの暗殺を実行しましたが、ジェッリがイタリア赤軍に対して大きな影響力を持っている数十年の間に、証拠が上がってきました。ここに、キッシンジャー、P2のリチオ・ジェッリ、そして、ロベルト・カルヴィの間にはっきりとした関係が見て取れます。

さて、ヨハネパウロ1世との関係はこうです。ロベルト・カルヴィは苦境にあった。彼はお金が必要だった。1.4億ドルが必要でして、窮地から脱し、この訴訟が立ち消えになるようにするため、すぐにお金が必要だった。ジェッリは彼に、バチカンが秘密の資金(slush fund)を持っていて、そこからお金を引き出せると言いました。‐しかし、そうするには、ロンドンへ行き、正規手続きを踏まなければならなかった。

もちろん、実際は、これらの手続きは、彼の儀式的な処刑(ritual execution)と言ってもいい計画であることわかったのです!彼はロンドンのブラックフライアーズ橋から吊るされて発見された。殺された理由はこうです。ジェッリは主要な恐喝人でした。絶望的な時期に、人々は極端な方法に訴え、カルヴィはその主要な恐喝人を恐喝したわけです。その脅しはこうでした。「もしお金を持ってこないなら、ヨハネパウロ1世の暗殺に関わったP2の存在を暴露するぞ」と。ロッジP2のマスターであるリチオ・ジェッリ(キッシンジャーの友人でディヴィット・ロックフェラーの知人)にたいしてこう脅すことで、カルヴィは借金から逃れた、しかし死でもって補ったのです。

明らかにフリーメイソン員のバチカン内での支配は行き過ぎですね。彼らは枢機卿の有権者たちや選挙そのものを支配していますか?

それは、場合によりけりです。喜ばしいことにベネディクト(16世)教皇は多くの枢機卿を生みました。概して、ベネディクト教皇の選んだ枢機卿はヨハネパウロ2世のそれよりも優れています。2013年のコンクラーベ以前のラッツィンガー枢機卿を選出したコンクラーベは、‐神の助けえと恩寵のもとに‐改善が必要でした。

教会の統治において、私はこれだけは言えます。彼らの権力がバチカン内でどれだけ浸透しているかを示すべく引用してみましょう。
2008年にモンシニョール(高位聖職者)マリーニが私に「私たちの手は縛られています」と言い、(両手をロープで縛られているかのように手首のところで腕をクロスしてみせて)このようにジェスチャーしました。「手は縛られています!バチカンの重要なポジションをフリーメイソン員が占めているので私たちにできることはありません。」これは2008年の10月のことでした。マリーニの死は2009年の5月ですが、その2か月前にももう一度こう言いました。「私たちはフリーメイソンに占領されている。(We are under Masonic occupation)


この主題のより詳しい情報は、ポールクレィマー神父の著書「The Mystery of Iniquity
をお読みください。


関連動画






2013年5月18日土曜日

聖職者省元長官枢機卿シルビオ・オッディ-第3のファティマの秘密

第3のファティマの秘密の見解で知られるオッディ枢機卿

(1910年11月14日‐2001年6月29日)

11才の若さで神学校に入り、1933年5月31日に司祭叙階されたオッディ枢機卿は、長い間闘病生活のすえ、2001年に北イタリアのピアチェンツァ近隣の病院で亡くなられました。90歳の長寿でした。

1938年から1962年の間、ほとんどは中東の地で、バチカンの外交官として奉仕し、1953年7月30日にメセンブリア (枢機卿の)名義教会の大司教に、またエルサレム、パレスティナ、トランスヨルダン、サイプレス(Cypress)の教皇使節に任命されました。


1953年から1957年の間、正教会のリーダーたちとともにエルサレムの聖墳墓教会の聖地回復に努めてきました。

1957年エジプトへ転任、その後、1962年にベルギーとルクセンブルクのローマ大使に。1969年に教皇パウロ6世に枢機卿の位に上げられます。

1979年から1985年まで聖職者省の長官を務め、おもにラテンアメリカにおける活動家司祭の政治活動への参加に制限を加えました。

オッディ枢機卿は保守派かつ第3のファティマの秘密の見解でよく知られていますが、1986年のアシジで行われた全宗教祈祷集会(カトリック、プロテスタント、イスラム教、仏教、アニミスト、ヒンドゥー、その他さまざまな宗派の集会)をスキャンダラスなこととしてコメントを残しています。

「あの日…、私はアシジを練り歩きましたが、あちこちの礼拝所で本当の冒涜を見ました。仏教徒が祭壇の周りで踊り(dancing)、祭壇上におかれるべきキリスト(御体)を取り除いて、仏像が置かれ、香をたき、それをあがめているのでした。あるベネディクト会士は抗議をしましたが、警察に連行されました・・・。式典を支えるカトリック信徒は、あきらかに困惑顔でした。」(“Confissões de um Cardeal,”Interview granted by Cardinal Oddi to Tommasco Ricci, 30 Dias, Nov., 1990, p. 64)

ファティマの第3の秘密に関しても「ゴルバチョフとは何の関係もありません。祝されし乙女は我々に教会における背教を忠告したのです。」とオッディ枢機卿は述べています。


1990年3月17日のインタビューで、ローマの「Il Sabato」誌で、より多く言及しています。

「私はヨハネ23世をよく知っていました。というのは、教皇がパリの職務についていた時、私は何年も彼の傍にいましたから。もし第3の秘密が、教会を慰めてくれる現実に関することでしたら、例えば、ロシアの回心もしくは東欧の宗教的回復などですが、教皇はその秘密を公にするように働きかけていたことでしょうと私は確信しています。」

「気質から言って、教皇は喜ばしいことでしたらためらわずに話をするのです...。しかし、意見を述べる機会があるときに、私は教皇に質問をしました。なぜ秘密にされるべき年である1960年が過ぎても、ファティマの重要なメッセージの最終部分を公表しなかったのかと。すると、教皇は、うんざりしたため息とともに、お願いですからそのことについては触れないでください、と言いました。」


オッディ枢機卿によれば、教皇ヨハネ23世は第3の秘密を受け入れませんでした。なぜならそれは、第2バチカン公会議がこれから結実しようとする「新しい過ぎ越し」(new Pentecost)という理想と相反するからでした。

オッディ枢機卿は続けて言います。

「ファティマの秘密と結びつけて考えられた1960年に何があったでしょうか?最も重要な出来事、それは疑いなく第2バチカン公会議の準備段階の始まりでした。(補足:公会議開催の告知は1959年1月25日、1962年の公会議開催までは準備期間)それゆえ、第3の秘密は第2バチカン公会議に関係することであったと驚かないでしょうし、またそれが教会にとっての闇の時代、つまりカトリシズムそのものの重大な混乱と引き起こされる背教について暗に言及しているものであったと驚かないでしょう...。公会議以降私たちが経験している重大な危機を思うとき、預言が成就したという印に欠けるところはなくなります...。

オッディ枢機卿は1986年教皇ヨハネパウロ2世に任命された9人の枢機卿委員会のメンバーの一人でしたが、トリエントミサに関する問題を扱い、次のように結論付けました。

1.ラテン語のトリエントミサは廃止されたことがない。
2.全ての司祭はトリエントミサを挙行する権利を持ち、司教は、公であろうと私的であろうと、伝統のミサ典礼を挙行することに対して禁止したり、制限をかけたりすることはできない。


関連外部リンク
トリエントミサを挙行することは合法的に許される
教会における背教

キリエ・エレイソン