2013年10月30日水曜日

聖職者の減少に歯止めがかからない廃れるカトリック教会

カトリック教会の聖職者の深刻な減少 2000年から2012年


参考資料
カトリック教会現勢


2000年の聖職者数



2012年の聖職者数



上図のデータはカトリック中央協議会のホームページで確認ができます。

それによれば、2000年の聖職者数は全体で1719人 でしたが、
2012年の聖職者数は、1422人となっています。およそではありますが、この10数年で300人の司祭が減少したことになります。

それで、一つの疑問がわいてくるはずです。いったい、いつから聖職者は減少し始めたのだろうか?

数は関係ない、量よりも質の問題だと、仰る方がいるかもしれません。なるほど、たしかに信徒の数よりも、その質のほうが大切だという意見はごもっともですが、それでは本当に信徒や聖職者の質が良くなっているでしょうか?

今カトリック教会に通う信徒が、当時のカトリック信徒以上に質が良くなったという状況を、資料でぜひ示していただきたいなと思います。そんなことは不可能だということは承知ですが。個人的には、聖職者や信徒の質が良くなったとは到底思えません。むしろ、カトリックの信仰を否定する聖職者が増えたということだけは実感しているところであります。

当然、信徒数や聖職者数の数で判断することも大切であるかと思います。信徒数や聖職者数の減少は当然、質の低下が招いている可能性もあるからです。

天主の働き手である聖職者の数は、特に教会の現状を知るうえで重要な指標であり、聖職者(神父)数の減少は、恩寵の減少と考えて差し支えないでしょう。

また、改宗者の少なさも目に余るものです。



教皇ピオ12世 治世下(1938-1954)における教会のすう勢



上の文書は、Kenedy Directoryの1959年版で教皇ピオ12世が亡くなってから公開されたものです。ここで注目すべき部分は「Priests(神父)」と「Converts(改宗者)」の部分です。

1939年の聖職者数はわずか33,540人でしたが、教皇が亡くなる1958年には、50,813人と急増しています。

また、改宗者もものすごい数で増加しています。1939年は65,943人の改宗者がいましたが、1958年は140,414人と2倍以上に膨れ上がっています。

神学校や神学生の増加も倍増しており、少なくとも数値上は、100年安心のカトリック(100年安心の国民年金ではありません)だったのです。

この数字から言えることは、戦後の厳しい時代の中、多くの人々は宗教に救いを求めていたと考えられ、決してカトリック教会は衰退などしていなかったということです。カトリック教会はますます必要とされ、何もなければ、カトリック教会は今に至るまでその勢力を拡大していたことは間違いありません。

この資料を見ても、ピオ12世こそ、カトリック教会の復興に尽力した偉大なる教皇であり、聖人の位にふさわしい人物なのです。

それは上のデータを見ていただたくだけで十分でしょう。

ここで、先にした同じ質問を繰り返させてください。

いったいいつから教会はおかしくなり、聖職者は減少してしまったのか?

この質問に対する回答として、ラッツィンガー枢機卿(元教皇ベネディクト16世)の発言を引用させてください。

信仰について―ラッツィンガー枢機卿との対話(p40-41)

この二十年間(1965~85年)がカトリック教会にとって決定的に不利であった、ということには議論の余地がない。公会議に続く結果は、ヨハネ23世やパウロ6世を始めとするみんなの期待を無惨にも裏切ったかに見える。キリスト教徒は、再び、古代末期以来かつてない少数派になってしまった。・・・公会議の教皇たちや教父達は、カトリック的な新たな一致を期待していたのに、---パウロ6世の言葉を借りて言えば--- 自己批判から自己破壊になりかねない不一致に直面した。・・・躍進をこそ期待したのに、結果的には衰退を見せつけられ、それは公会議の真の精神の権威を失墜させる自称 "公会議精神" の掛け声のもとで蔓延していった。


ご覧のとおり、教会の高位聖職者がおっしゃっているように、教会の衰退はこの時期(1960年代)だったのです。

この時期はあの悪しき第2バチカン公会議が開催された時であり、公会議の影響によって、教会は衰退していったということは誰も否定できない事実なのです。


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