2013年7月30日火曜日

聖ジョン・ニューマン-アメリカ司教の最初の聖人

St. John Nepomucene Neumann



Dsc_0115_2聖ジョン・ネポムク・ニューマン
1811-1860  1月5日祭日(アメリカ)
アメリカ司教最初の聖人





チェコのボヘミア生まれ。1835年に司祭に叙階される予定でしたが、司教の病気と多くの司祭の存在により、これ以上の叙階を行わないことが決定されました。ボヘミアには多くの司祭がいました。



ジョンはヨーロッパ中の司教に手紙を書き送りましたが、どこも同じようにこれ以上の司祭はいらないと理由で断られてしまいました。司祭の召出しに応えようとしていたニューマンにとっては苦難の道のりでしたが、あきらめずに、英語を話す人と一緒に働きながら英語を学んで、アメリカの司教宛に手紙を書いたのでした。



ついに、ニューヨークの司教が彼を叙階することを承諾してくれました。司祭としての神の呼びかけに応えるためには、彼は故郷を捨て、海を越えて新しい困難な地へと旅立たねばならなかったのでしょう。



ニューヨークでは、20万人を司牧する36人の司祭のうちの一人はジョン神父でした。彼は西部ニューヨークの教区を受け持っていましたが、次第にオンタリオ湖からペンシルベニアまでそれは拡大していきます。彼の教会には尖塔も廊下もありませんでしたが、村々へ常に旅する彼にとっては大切なことではありませんでした。山を登って病人を訪問したり、屋根裏部屋や宿屋に泊りながらキッチンのテーブルでミサを捧げていました。



職務と管轄教区の孤立のため、ジョン神父は共同体を切望し、貧しい者、見捨てられた者を助けるために捧げられた司祭、修道士の修道会であるレデンプトール修道会(the Redemptorists)に加わりました。



1852年にフィラデルフィアの司教に叙階されます。ジョン・ニューマン司教は教区のカトリック学校を組織化した最初の人です。アメリカのカトリック教育の創設者として、2つしかなかった学校を100にまで拡大し、多くのカトリック学校を創設しました。



司教は人々に対して愛と関心を決して失うことはありませんでした。また、フィラデルフィアの中枢(司教)を悩ますものに対しても関心を失うことはありませんでした。地方の教区に訪問した時のこと、教区の司祭は肥料(排泄物)用のワゴンで司教を迎えに行きました。ワゴンに詰まれた内容物が広がった厚板に座りながら、司教は言いました。
「今までで、あなたは司教にお供する随行人に会ったことがありますか?」



彼の言語を学ぶ能力が彼をアメリカへと導きましたが、またスペイン語、フランス語、イタリア語、ドイツ語をも覚え、6か国語を駆使し、6か国語で告解を行うことができました。アイルランド人の移民も増えたので、司教はゲール語(Gaelic)も修得しました。アイルランドのある婦人は「私たちはアイルランドの司教をいただけてなんとすばらしいことではないでしょうか?」と言ったほどです。



かつてドイツに訪問した時のことです。司教は雨でびしょ濡れになって訪問先の家に戻ってきました。家主は彼に靴を交換するように言いました。司教は言いました。
「靴を交換する唯一の方法は、右足の靴を左足に、左足の靴を右足に履くだけですよ。一足しかありませんからね。」



ジョン・ニューマンは1860年1月5日、脳卒中により48歳の若さで亡くなりました。



お祈り



ああ、聖ジョン・ニューマンよ、すべての霊魂をキリストへ導こうとするあなたの熱烈な渇望により、あなたは故郷と国から引き離されました。天の御父の子供かつ神の家族の最初に生まれたイエズス・キリストの兄弟姉妹とする、洗礼の精神により、私たちに立派に生きることを教えてください。



あなたの生活の大きな特徴であった、貧困、病人、苦境にある人、見捨てられた者に仕えるあの完全な奉仕を、私たちのために獲得してください。困難かつ、時に苦痛である務めの道を忍耐強く歩めるように、救世主の御体と御血により強められ、わが御母の注意深い御保護のうちに、お助けください。



死(の間際)の時も、心のうちに鮮明な信仰の光に照らされ、天の御父の住いに至る確実な道にいますように。





参考ページ
聖ジョン(ヨハネ)・ニューマン
St. John Nepomucene Neumann



追記
写真は腐敗を免れた聖ジョン・ニューマン司教です。かつて、腐敗を免れることは偉大な聖人の証であると考えていました。もちろん、腐敗を免れることが聖人であることの条件ではありません。ただ、この奇跡は天の介入によるものであると強く信じています。
また、腐敗を免れることはカトリックの復活の信仰を補強するものなので、常に感動を呼び起こします。腐敗の写真を見た時は、いつも天を仰ぎみる気持ちになり、生き方の自省を促してくれます。ジョン司教の召出しに誠意に応えようとする生きざまを考えながら、その徹底した自己犠牲に強く心打たれました。





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