教会はどうなってしまったのか
スペインのSantiago of Compostela教会で、露出度の多いファッションショーが行われました。
はっきりしていることは、このような教会内でのハレンチは、世界中でよく聞かれます。
いったい、なぜこのようなことがまかり通っているのでしょうか?なぜ、天主堂でこのような大衆受けする非神聖な踊りやファッションショーや典礼の乱用などが起こるのでしょうか?
それの意味するところは、第2バチカン公会議は、高らかに成功したとは言えないということです。婉曲的に表現しましたが、第2バチカン公会議は、間違った自由主義と平等主義、人間中心主義を呼び込んでしまったのです。
第2バチカン公会議を正当化する人たちは、現在の教会の現状を見たくありません。むしろ、盲目になります。彼らは伝統を否定、ないしは抑え込もうとしますが、それは間違いです。豊かにはぐぐまれた伝統を否定することは、教会との断絶を意味します。
どの国でも自国の有する美しい伝統を継承するように、カトリック教会も脈絡と続いてきた美しい伝統・典礼・教会・信仰を継続していく権利を有しているはずです。
第2バチカン公会議の文書には、ラテン典礼の継承、グレゴリオ聖歌の優位性が宣言されていたはずです。にもかかわらず、ラテン語のミサが廃止されたなどとうそのような話が、まことしやかに信じられてきました。
話しが典礼にそれてしまいましたが、お御堂という言葉が使われなくなったのは、天主の存在を意図的に隠し、プロテスタントや異宗教におもねているとしか思えません。交流の場にふさわしいものとして、教会を天主堂から集会場に変えてしまったことは、神の怒りに触れたことでしょう。
ここに不潔な写真を掲載することをお許しください。
カトリック信徒は目を覚ましてください。
生ぬるい生活態度は、天主の怒りに触れるのです。
聖母の私的示現を受けていたジャシンタが語った言葉です。
「他のどの罪よりも多くの魂を地獄に落としてしまうのは肉欲の罪です」
「私たちの主がお喜びにならないファッションが流行するでしょう。神に仕える人たちが流行を追ってはなりません。教会は流行と無関係です。・・・」
主よ、われらを憐れみたまえ!
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