2013年5月3日金曜日

ロックンロールミサ

ロックンロールミサ



中世の大聖堂で行われたロックンロールミサなど、典礼の乱用は続いています。前代未聞のロックンロールミサが、なぜ許されるか?その元凶が第2バチカン公会議の精神によるものであり、現代人の受け入れやすいミサ、新しいミサの出現ということがその事実を端的に表現いるのだと思います。子供のミサ、若者のミサ、貧しい者のミサ、現代人のミサ、食卓のミサ、カレーのミサ、ジュースの葡萄酒etc...。教会は危機に直面しています。



よく、第2バチカン公会議を正当化する人たちから、第2バチカン公会議は伝統に照らし合わせて解釈をすることが大切だという声が聞かれます。しかし、その意味するところは、第2バチカン公会議は、決定的な重要な問題の解決のために開催された何か特別な公会議ではなく、結局は現代人に受け入れられやすいような教会を示し、福音を伝えるために、自由主義に汚染された現代人に受け入れやすい教会をつくるための妥協の産物だったのではないでしょうか?そういうわけで、伝統に照らし合わせて解釈する必要があるのだ、というのではないでしょうか。とどのつまり、第2バチカン公会議は一方で、自由主義者の好き勝手な解釈も可能であるということを意味していないでしょうか。



特に、第2バチカン公会議開催時その初期から白熱した論争を繰り広げた問題は、ラテン語典礼に関するものだったと言われています。なぜ教皇聖ピオ5世によって聖体祭儀自体の根本的改訂は許されないと言われたのにかかわらず、第2バチカン公会議後、教皇パウロ6世の手で、新しい典礼が生み出され、ついには伝統を放棄してしまったのか。



その後、元教皇ベネディクト16世が自発教令で、トリエントミサは廃止されたことがなく、1962年に教皇福者ヨハネ二十三世が発布したローマ・ミサ典礼書と、1970年に教皇パウロ六世が発布したローマ・ミサ典礼書のいずれをも用いることができるとしながら、バチカンは新しいミサを捧げるよう強要することがあり、自己矛盾を抱えています。



このようにしてみると、やはり新しいミサを生み出した第2バチカン公会議にこそ、大きな問題がはらんでいるといえます。伝統に照らし合わせた解釈「継続性の解釈学」は、実は第2バチカン公会議に問題あり、ということを如実に物語っているのです。この公会議は、何か重要なドグマを決定するためではなく、エキュメニズム、アジョルナメントという方向性を打ち出して、教会を破壊するための時限爆弾だったのではと思うのは至極当然なことなのです。





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